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2005年5月の26件の記事

2005.05.31

一人暮らし体験

ただいま妻は産科に入院中。
実はいままで30年生きてきて「一人暮らし」の経験ってほとんどなく、自分しかいない自宅というのも初めての体験なので、とても静かでなんか変な感じ。
最初はサラダをつくったり、野菜炒めを作ったりもしていたけれど、だんだんと面倒くさくなって、最後には全部外食や出来合いになってしまった。
やはり料理は楽しいけど「食べてくれる人」がいないと張り合いがない…。
以前このブログに掲載していた写真のような料理を自分ひとりの為だけに作るのは無理。一人暮らしで自分の為に料理を作ってる人はすごい。

それから、気付いたことのひとつが「プチ家事」の存在。
いままで妻が黙ってやっていたので、その存在すらわからなかったけれど、夕食の仕度や片づけ、掃除なんかのメイン家事以外に「小さな家事」が無数にあることがわかった。
たとえば、夫が脱ぎ捨てたものをしかるべきところに戻す作業や、夫が読みっぱなしの新聞を片づける作業、花の水替えとか、不在票への対応を含めた宅配便の受け取り、風呂のあとに足ふきマットをあげること、植物への水遣り、郵便物をポストから取る…なんて小さなものまで。
日常的には妻がササっとやっていることって結構あるんだなー、というのが実感。夫関係では注意すれば済むことが多いこともわかったので、今後は気をつけよう。

2005.05.30

たんぽぽの国

この季節、十勝はたんぽぽの黄色い花に包まれる。
天気がいいと、たくさんの花が一斉に開いてそれはそれはきれい。

市内の空き地、駐車場のわき、土手、街路樹の下、公園、ありとあらゆるところがたんぽぽの花園。
いつもの通勤路も、道路の両脇に黄色い絨毯をひいたよう。
青い空と牧草の緑、それに真っ黄色のコントラストがいい感じ。

tanpopo
写真は帯広の森の近くの緑地。
たぶん植えたわけではなく、勝手にたんぽぽが広がって、こんな感じになったのだと思う。

自分の家の庭に生えていると「うっ」と思ってしまうたんぽぽだけど、でもこんなにきれいだとまぁいいか…とつい思ってしまう。
(庭管理という視点で言うと、とても生命力が強くて抜きにくく、根絶は難しく、かなり手強い「雑草」なのだけど…)

もう少しすると、これたんぽぽが全部白い綿毛になって、それはそれでまたきれい。

そんな初夏の風景、それがたんぽぽだ。

2005.05.29

病院に通っています

生後2日めの温人。
DPP_0223

小さく産まれたので、やっぱり少し元気がなくて、体温調節のための保温も他の子より多少厳重だし、それほど泣かずにひたすら寝てばかり。まるで寝太郎。
でも母乳やミルクはちゃんと飲んでいるし、そのうち元気になることでしょう。

病院は入院2日め。
妻は当初からどうしても個室がいい…と希望していた。面会時間ほぼいっぱいに行っている自分としてもそれは同じ。
ところが空きが無くしばらく2人部屋だったのだけれど、ようやく個室があいたので引っ越し。
家族3人くらい住めそうなほど広く、テレビや電話は当然としても、トイレや、なんと風呂まであってホテル並みの部屋。(…差額部屋代もホテル並みみたいだけど(笑))

同時に今日からは赤ちゃんも同室になりました。

いまは3~4時間おきの授乳をしながら、退院に向けていろいろな指導を受けたり、自分(妻)や赤ちゃんの診察をしているところ。

それにしても生まれたての赤ちゃんというのは、なんでこんなに小さくてかわいいのだろう。もうとろけてしまいそう(笑)
自分がそんな気持ちになる、というのが一番の驚き。やはり自分の子どもというのは違うなぁ。

DPP_0228

ちっちゃな手、ちっちゃな頭…。ぽやぽやの肌…。
手なんかこんなにも小さいのに、ちゃんと数ミリの爪がついていて、ちゃんと関節もあって、まるで人形のようだけどやはり人間なんだなぁ、なんて思ったり。
あぁ明日も病院に行くのが楽しみだ。

2005.05.28

幸福感に包まれて

CRW_2305m
温人を抱く妻。
母になった妻のやさしい顔。そしてまだ生後1日めの温人もやさしい顔。
2005.5.27撮影 EOS10D EF35mmF1.4L

2005.05.27

命名、温人(はると)

昨日生まれた赤ちゃん。

名前は実は何ヶ月も前から考え続けていた。
変わった名前、凝った名前、十勝の風景を思い出すような名前とか(どんな名前じゃ?)、5月なので「春」が付くやつなど、いっぱい考えていたのだけれど、もっとストレートに、人としてどういう人になって欲しいのか、という親としての願いを名前に込めた方がいいかなー、と。

そこで考えた。

親として、これから人間として生きていく上で一番大切にして欲しいこと。


…それは人を愛すること。
人はひとりでは生きられないから。

人を愛するために必要なものは、自分自身が愛されること、自分を愛する気持ちや、人への思いやりの心など、いくつかあるけれど、そのなかのひとつは、温かい心だと思う。

そんな、温かい心を持った人間。
他人の冷たい心を温められる、そんな人になって欲しい。


そんな私たち夫婦の思いを込めて、私たちの初めて生まれた子どもへのプレゼント。
結局、妻が出した案が採用になったので、命名者は妻。

命名、温人(はると)

どうぞ、よろしく。

2005.05.26

生まれました! 妊娠36週目(10ヶ月・臨月)

本日5月26日12時36分。

無事に男の子を出産しました。
体重2372グラム。36週6日めでした。

明日だったら正常産だったのに1日早くて早産扱い。
そして体重がちょっと少なめで、低体重出生児(2500グラム未満は一律らしい)となりました。

とはいえ、赤ちゃんはとても元気で、医師による出生時の元気度を表すなんとかスコア(?)も満点の10点判定。
週数が早かった以外、特に問題も見あたらず、保育器に入ることもなく、元気いっぱい。

出産の過程をずっと見守っていたけれど、頭がだんだん見え隠れして、その後、顔がなんとかでてくる。最初の色は紫というか白というか。ちょっとエイリアンっぽいぞ。
そしてその前に揃えられた手がコニョコニョって動いた瞬間、そして頭が全部でてきて、ふうっと息を吸って文字通りオギャー!と産声を上げた瞬間、あぁこいつは本当に自分たちの子どもで、そして今まさに自分で息をして生きようとしているんだな…と不思議に実感した。

人生が始まるその瞬間。
命がスタートするまさにその瞬間。
とても感動したし、今日、自分の子どもが生まれるその場に居合わせられて本当によかった。

旦那さんもどうぞ、と手渡された赤ちゃんは、なんだかふよふよで頼りないけれど、でもその小さな身体の体重で、今から親となる大きな責任を感じたし、いままで感じたことのない愛おしさも感じたし、そしてなんだか妙に背筋を伸ばしたくなるような不思議な気持ちにもなった。

ようこそ。ようこそ。
生まれてきてくれて、私たち夫婦を選んでくれて、本当にありがとう。
去年妊娠がわかってから、今日まで、あなたに会える日をずっと待ってた。

この世はおかしなところも多いけれど、でもでも楽しいこと、嬉しいこと、幸せなこともいっぱい。
…もしかして早くこの世を見てみたかったとか?(笑)

そして妻よ、本当におつかれさま!ふたりの子どもを産んでくれてありがとう!
そしてスタッフのみなさん、このブログにコメントを入れていただいたみなさん、どうもありがとうございました。

詳しくはまた後日書くとして、簡単な経過としては…

深夜23時半 破水
1時半 入院
8時半 診察。陣痛が弱いため、誘発分娩とすることを決定。
子宮を広げるバルーンの挿入と、陣痛誘発剤の使用に署名を求められサイン。
9時半 バルーン挿入の準備が整ったところでさあ挿入!としようとしたら、子宮口が4cm開いていることが判明。バルーンはいらなくなった。妻は「これが陣痛なのかなあ?」
10時半 それまで和やかな雰囲気で進めてきたお産だったが、陣痛が次第にきつくなって妻の顔から笑みが消える。この時点で陣痛誘発剤使用は無しに。
12時 陣痛ピーク。とても痛くて苦しそう。大汗をかいて、夫と一緒にフーーの呼吸。手をしっかり握ってがんばれ!!
12時すぎ 子宮全開(10cm)
12時半 とうとう頭が見え始める
12時36分 誕生!ちょっと小さめな身体だけど、大きな産声を上げる。

終わってみれば、陣痛も最後の2時間くらいが若干大変だった程度で、入院から出産まで12時間程度、全体としてはとても安産だったような気がする。
(深夜スタートで徹夜お産となった、という点ではたしかにちょっとしんどかったけれど)

出産直後の妻も元気で、「お産ってもっと大変かと思っていたよー」「このあとプールで泳げるくらい」とジョークを飛ばしていたほど。

本当は少し疲れたけれど、いまは一仕事終えた安堵感と不思議な充実感でいっぱい。
そうだ、早く名前を確定してあげなくちゃね。

P1010274_1

2005年5月26日。
今日は私たち家族にとって、特別な一日。
いつの日か、今日という日がどんな一日だったか、そんなことを話して聞かせてあげたい。

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このページを初めてご覧になった方へ

こんにちは!当ブログ作者の五十嵐豊です。

このページに来た、ということはそろそろ赤ちゃんが生まれそう…あるいはもう生まれた!ということですよね!?おめでとうございます!

この記事は今から7年前の記事で、ここで生まれた彼は今では小学生。
弟も2人産まれ、5人家族でとても楽しく毎日過ごしています。

この長男が生まれたのをきっかけに僕は子育てに目覚めました。
家事育児にこれでもかと取り組み、育児サークルの立ち上げ、パパの集まりの設立…

僕自身も国から「イクメンの星」という称号をもらったり、講演会、新聞コラム、テレビ出演など、子育ての情報を発信しています。

子育ては楽しいことも苦しいこともありますが、全体としてはとても幸せな仕事です。
どうか子育てがんばって、そして楽しんでくださいね!

そうそう。

子どもが生まれる家庭、特に新米パパ向けに「子育て&ママとの関係」を良くするための読み切りメルマガを発行しています。

僕が3人の子どもを育て、たくさんの夫婦を見てきて、子どもが生まれて幸せな家族になるためのコツが満載!すでに数百人の方に読んでいただき大好評です。

もちろん無料、読み切りなのでよかったらぜひ読んでみてください!
読み切りメルマガ「パパの笑顔がみんなの笑顔

http://papa.from-tokachi.net/

2012.11.22 いい夫婦の日に追記しました

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子宮口4cm

午前10時、バルーン入れようとしたら子宮口が4cmになっていたので中止になった。ラッキー♪
経過は順調、妻はまだ冗談を言うほどの余裕あり。
陣痛もこんなもんなら耐えられるって(笑)
まだまだ続きます050526_10250001.jpg

26日午前1時入院しました

ただいま、2005年5月26日木曜日午前2時です。リアルタイムレポート。

25日午後11時半、破水かな?という大量の水がでる。
26日午前1時、病院に到着。
…病院に着くまでの道のりの赤信号がもどかしい。

早速LDR(陣痛室と分娩室が一緒になった部屋)へ通される。
胎児の心拍モニターをつける。妻も子どもも元気のようだ。
診察の結果、破水であることが判明したので、そのまま入院となりました。

妻の様子はいまのところ元気で、いまのところ陣痛はわからない…という感じ。


…ところが、自宅に母子手帳を忘れてきたことが判明。
どうしても必要なのでとってきて!ということで、自宅までまた片道1時間の道のり(笑)
プレパパ・プレママのみなさん、入院時は母子手帳を忘れずに!

今後の経過としては、まず感染予防の抗生物質を打ち、その後午前9時ころまで自然に陣痛が来るか待つ。つまり様子見。

そして自然に陣痛がくればそのまま出産、つかなければ陣痛促進剤の出番…との説明。
うーん、できれば薬を使わずに自然に陣痛が来るといいのだけれど…。

なにしろ、いよいよだ。6月と言っていたけど今日明日には生まれるはず。

こんな時間なのに、運転も平気なのはやはり緊張しているのかも。

これからまた病院に向かいます。長丁場になりそうだ。

どうか。どうか母子ともに元気で。
妻もののおもがんばれ!!

2005.05.25

破水かも

いまから病院へ行きます050525_23290001.jpg

子供の産み方 妊娠36週目(10ヶ月・臨月)

臨月となった妻は毎週検診。
一昨日の妊婦定期検診では、子宮口が1cm開いてきたとのこと。
推定体重は2400gくらい。経過は順調で、心配なことはなにもないそうだ。
現在、36週5日め。
まだ6月17日の予定日までは少しあるけど、もうそろそろ出てきても大丈夫かな?


出産の手順は、ものすごくおおざっぱに書くとこんな感じのようだ。

1.陣痛が来る(おなかが痛くなる)
2.痛くなるのは定期的。だんだんと間隔が短くなる。
3.陣痛が10分間隔になったら、仕度をして病院に入院。破水した場合も入院。
4.だんだんと子宮が開いてくるので、直径10cm(全開)になるまでひたすらガマン。
5.場合によっては、子どもがでてくるところを麻酔してチョキンと切る。会陰切開というそうだ。(うぅ、とても痛そう…。しかし陣痛のほうがずっと痛いみたい)
6.がんばっていきんで子ども生まれる。産道は狭いから、頭蓋骨を微妙にずらしてでてくるらしい。肩がひっかかるから回りながら出てくるんだと。
7.へその緒を切って、会陰切開をした場合はそれを縫う。


…うーん、なんだかとても大変そうだ。
陣痛の痛みというのはとんでもないもののようだし、実際には台の上にはりつけ?状態なのだろうし、なんとかモニターを付けたり、半端じゃない状況のようだ。

しかし、こればかりは妻にがんばってもらう他ない。

こんな凄まじい体験を目前にしているというのに、本人の様子はというと、病院のていねいなガイダンスのおかげなのか、それとも持って生まれた性格なのか、はたまた出産を控えた女性というのはそういうものなのかよくわからないけれど、それほど不安そうな様子もなく、精神的にはとても落ち着いていて、むしろ出産自体も楽しみにしているみたい。

そしてそんな出産がなんとか終わると、こんどはさっそく朝昼夜深夜問わずの授乳が始まり、新生児との生活にそのまま突入。
入院期間は5日くらいほど。
入院中の細かいことはよくわからないけれど、まずは母親の体力回復が一番で、その他授乳したりいろいろあるみたい。

それにしても、たとえばこんな流れひとつとっても、子どもがいるひとたちにとっては常識なのだろうけど、初めて赤ちゃんを迎える私たちには知らないことばかり。


出産目前の準備としては、入院の準備を整えて荷物をまとめておくこと、緊急連絡先のリストを作っておくことくらい。
あとはなるべく遠くに行かない(病院から片道1時間以内を行動圏としよう…って自宅が一番遠いかも)、夫も急な運転に備えてお酒は常に控える、携帯電話はちゃんと充電しておく、などなど。

まだまだ先だと思っていたのに、気が付いたらもう出産も目前のような気がしてきた。

考えてみれば、予定日の3週間前からは正常産なのだから、5月27日、つまりあさってからは正常産の時期、つまりもういつお産が始まってもおかしくない…ということ。

子どもと会える日がいつになるかはわからないけれど、不安ちょっぴり楽しみいっぱい。

陣痛が始まるのを待っている、そんな今日この頃だ。

2005.05.24

秘密の場所

自宅からそれほど遠くない、とあるところにニリンソウの群落がある。

この季節、林いっぱいにニリンソウが咲き乱れ、そのなかにポツンポツンと白いエンレイソウが咲いている。

まだ肌寒い早朝に行けば、丸まった花びら。
昼に行けば、一斉に花を開いた光景。
夕方に行けば、オレンジ色の夕日に照らされた花たち。
風が吹くと、フワフワと白い花が風にゆれている。

…それはそれはきれい。本当にきれい。

自分はこの季節に、毎年こうして一面のニリンソウを見に来るのをとても楽しみにしていて、5月になるといつ咲くかいつ咲くかと、なんとなくソワソワしてしまう。

nirin1
EOS10D EF100mmF2.8Macro

この場所の本当の魅力は、なんといっても無名なこと。静かなこと。
名のある観光地になっても遜色ないほどの美しさだし、札幌あたりからでも見に来る価値がある風景だと個人的には思うけど、しかし今のところは無名で、いつ行ってもたいてい誰もいない。
地図にも載っていないし、ガイドブックのたぐいにも載ったことはないし、駐車場も看板もなにもないので、地元人にもほとんど知られていないような気がする。

ごくたまにこの場所を知る一部の人が写真を撮りに来るけれど、ほとんどの場合誰もいなくて、この風景は私たちだけのひとりじめ。
路肩に車を停めて、妻と一緒に静かな林を抜けて、リスが遊ぶこの場所に立つと、つい黙ってしまう。
…そんな大人の秘密の場所。

誰も見ていないのに、誰が植えたわけでもないのに、毎年毎年こんなにもたくさんの花を咲かせている。
冬には氷点下25度にもなって跡形もなくなってしまうのに、たしかに雪の下で命をつなぎ、毎年間違いなく咲き乱れる白い小さな花。
それはまるで寒い冬が終わった喜びに満ちあふれているかのよう。

そしてキツツキやリスの姿を追い、そして木を見て、あぁ今年はこの木の花はまだだな、なんてことも考えるのも楽しみのひとつだ。


北海道の田舎暮らし。
家の近くにはお洒落なカフェもおいしいケーキ屋さんもない。
でも田舎ならではの、こんな素敵な風景との出会い、そんな楽しみが確かにある。

これからもこんな風景を大切にしていきたい。

nirin2
EOS10D EF100mmF2.8Macro

十勝にお住まいの方へお願い。
もしこの場所がどこかわかっても、宣伝するのはできれば止めて欲しいです。
もし行くことがあっても、見るだけ、写真を撮るだけにしてください。
この場所を大切にしている人がいます。
より美しい群落のために自主的に管理している人もいます。
ごみ一つ落ちておらず、山菜としてまったく採られてもおらず、そしてまったく踏み荒らされていないのは、偶然ではありません。

…ちなみに場所をお問い合わせいただいてもお答えできませんのであしからず。なんせ秘密の場所ですから(笑)

2005.05.23

定時に帰りたい

きゃらめるさんの記事とそこで紹介されている記事を読んでいたら、心の病と定時についての話。

というわけで、たまには自分のサラリーマンの話を少し。
考えてみれば「兼業主夫」なんて言って、平日まだ明るい時間にスーパーをフラフラしているのも、たしかに残業がほとんどないおかげ。

東京にいたときは、明るいうちに帰宅なんてありえなくて、それこそ京浜急行の午前1時頃に着く終電に乗って帰ることもしばしばだったし(これがまた車内は酒臭いし、かなり混んでいるしイヤなものでした)、徹夜もまあまああった。
身近に心の病にかかってしまう人もけっこう居た。

ところが地方にIターンしてからは、残業はあまりないし(少しはあるけど)、徹夜なんて5年間勤めて一度だってないし、土日に出勤することも年に1・2回あるかないか。
いまのところ心の病にかかってしまった人なんて見たことがない。

この差はいったいなんだろう?


そもそも、なぜ東京勤務は忙しかったか?
…それは、会社から要求される仕事量が多く、それをこなすのに時間内だけではとても無理だから。

なぜたくさんの仕事を要求されるか?
…それは会社に多くの売上げが必要だから。

なぜ多くの売上げが必要なのか?
それは……うーん…。
やはり各従業員に払う賃金が高いから…かなぁ?


いまのところ自分の職業(システムエンジニアないしはプログラマ)は、1人月というが「ひとりあたり月○○万円」という形で契約し、その期間はまるまるその会社の仕事、たとえばシステムづくりをして、そのお金をいただく…というような感じ。

たとえば、A社と1人月単価80万円という契約をしたとする。
2人で4ヶ月かかると見積もったシステムだったら8人月、つまり640万円ですよ、ひとりが1年かかる仕事だったら960万円ですよ…という感じで仕事をして自分の会社の売上げになる仕組み。


各個人あるいは各課には「このくらい売り上げるように」というノルマが提示される。

記憶があいまいだし、会社の規模も違うから単純比較はできないけど、たしか東京にいたときは、経験3年くらいの人の達成すべき年間売上額はひとり1千万円くらいだったような気がする。
一方現在の北海道勤務では700万円ちょいだったような…?


そしてこの差こそが、仕事の大変さの差、ということはないだろうか?
東京と地方ではそもそも単価がかなり違うというのはあるのだが、東京では複数のプロジェクトの同時進行をやったり(これはすごく大変)、契約人月より少ない人員で仕事を無理矢理こなしたりしていた。
高い単価を払ってくれる、しかし仕事もきつい客先の仕事を率先して受けたりしていたような気がする。
だいたい納期が超短期だったり、なにかとムチャな仕事のほうが単価は高いものだ。


会社はこの売上げのなかから、従業員の給料を払う。
売上げに対する人件費比なんてそんなに差があるものではないから、売上げの違いはそのまま給料の違いになる。

自分に当てはめて考えると、給料はたしかに大きく下がった。
東京を100とすると、今は65か70くらいか?
年齢による昇給の度合いも低いので、たとえばこの先5年10年と過ぎるに従って、その差はもっと広がるような気がする。

つまり地方勤務においては、要求売上げが低い=仕事への要求がわりと少ない、という図式があって、比較的仕事はきつくない。
ただし、それに応じて給料も安いのよ…という感じなのかも。

本当は、地方でも東京でも「猛烈働いて高給」「ほどほど働いて給料ソコソコ」みたいな個人にあった働き方が選べればいいと思うのだけれど、それはまだまだ先のことなのかな。

2005.05.22

森のあしもと

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EOS10D EF35mmF1.4L

凍てついた長い長い冬が終わり、植物も動物も命をふくらませる季節。
ほら。
足下にもまた、確かな小さな命。

2005.05.20

ふたり暮らしの終わりに 妊娠36週目(10ヶ月・臨月)

今日から妻は妊娠10ヶ月。いよいよ臨月だ。

いつ出産になるかわからないけれど、何事もなく無事に赤ちゃんが生まれてくれば、来月の今頃には私たちは3人家族。

ということは夫婦ふたり暮らしはもうすぐ終わり。

…最近、そんなことを少し考えている。


結婚して7年と少し。
私たちは、ずっとふたりで生きてきた。
嬉しいことも、悲しいことも、どんな気持ちもふたりで共有してきた。
一緒に過ごさない休日なんてなかった。ふたりでいろいろなことを見て、知って、体験してきた。
手を取り合い、しっかり前を見て一歩一歩共に生きていた。


自分の30年の人生において、ラッキーがふたつ。
ひとつは自分がこの世に生まれてきたこと。
もうひとつは、自分がまだ19歳になったばかりのとき、いま妻となった人と出会い、そして結婚できたこと。

この人と出会ったことで、自分の人生は「晴れ」で行くことが決まったように思う。


絶対の信頼関係、お互いに認め合い、助け合う気持ち。

たとえば北海道に移住したとき。
たとえば一緒に事業を立ち上げ、慣れない色々に四苦八苦しながらも、なんとかそれを軌道に乗せたこと。

自分たちが住むべきところを見つけたこと。家を建てたこと。

そしていつの日か尊敬しあえる夫婦になれたこと。


思い返せば、病気になったり、変質者の被害にあったり、交通事故でもうダメかも?という目に遭ったりと、何もかもがすべて順調だった…というわけではない。
でも、どんなときも夫婦の信頼関係が揺らいだことは一瞬だってなかったし、私たちの夫婦関係はいつも雲一つ無い快晴だったことだけは間違いがない。

新婚のときに比べたら、もう比べようもないくらい私たち夫婦の絆は強固なものになったし、いろいろな意味で、より頑丈な家族を作り上げていくことができたと思う。

もしかすると、子どもが出来なかった期間は、こんな準備をするために与えられた期間だったのかも?とも思う。


もうすぐ私たちの赤ちゃんがやってくる。
それはどんな暮らしなんだろう。

いままでずっとふたりの世界だったことを思えば、ほんのちょっとだけさみしい気もするけれど、でもやっぱり赤ちゃんが来るのはとても楽しみだし、子どもが大きくなる過程は今からとても楽しみだ。
子どもとやってみたいことだってたくさんあるし、大人になっていく過程で伝えていきたいことだってたくさんある。

11年前に付き合い始め、7年前に結婚してから今までの日々がそうであったように、きっと子どもを通して、もっともっと自分たちもまた成長できるはず。


ふたり暮らしの終わり。

赤い婚姻届にふたりの名前を書いたときの気持ち。
横浜の小さな白いアパートの鍵を受けとったときの気持ち。
結婚式でみんなにおめでとう!って言ってもらったときの気持ち。

またふたり暮らしに戻るときも、今と同じような気持ちをもったふたりでいたい。

いつの日か、今よりも少し歳をとった私たちが、大人になった最後の子どもを「じゃあね」と並んで見送るその日まで。

2005.05.19

近所付き合い

クロミニさんの「近所付き合い」にトラックバック。

田舎暮らしを語る上で欠かせないこと。
そう、それは近所づきあい。

北海道は十勝地方、芽室(なんと36人/km2)の農村集落に住む、私たち。

田舎だからさぞかし近所関係が大変なのでは?と思いきや、基本的に近所づきあいはそれほど深くない。

定期的な集まりは、それぞれ年1回の新年会、町内会主催バーベキュー大会、町内会総会がある。
が、出席は任意なので、行っても行かなくても。我が家はバーベキューだけ出ることが多いかな。

町内会は班ごとに分けられていて、班長(10年に1回くらいかな?任期1年)になると、月1~2回の配布物の配布、数回の町内会費の徴収などの仕事がある。

いままで5年住んでて一度もないけど、同じ班の方が亡くなった場合は、協力が求められる(はず)。
ちなみに葬式は、葬儀委員長(これって北海道だけ?)というのを決めて、地域で協力して葬式を出す。
ちょっと大変そうだけど、でも自分が突然死んでしまったときのことを考えると、ある意味安心かも?


年数回の町内定期掃除は、平日朝6時から。
ちょっと眠たいけれど、鳥の声を聞きながら朝の空気を吸って、まわりがきれいになるのは気持ちいい。


そしてご近所。
ご近所では、とても親しい以前からの「移住友だち」な方たちが2軒ほど。

その他のお隣さんとかご近所さんは、ちょっとした世間話くらいはするし、回覧板のほか、ごくまれになにかいただいたり、あげたりすることある…という程度。
とはいえ、それでもだいたいなにをやっていてどんな人なのかはわかるかな。

冬が長いこともあり、みんな車でしか移動しないこともあり、また区画が比較的広いこともあってか、近所の人と顔を合わせる機会はそれほど多くない。


そんなわけで移住前は、もう少し「濃い交流」を想像していて、まぁそれでもいいかなぁ…くらいの感じだったのだけれど、実際はこんなもん。

とはいえ、小中学生の子どもがいるとそうはいかず、冬のスケートリンク作りから、PTAのお付き合い、学校の先生の歓送迎会、まぁいろいろとあるようだけど…。


ちなみにあいさつについてはさすが田舎!で、外で誰かと顔を合わせたら、相手が大人でも子どもでも、知っている顔でも知らない顔でも、とりあえず「こんにちは~♪」という感じ。
最初来てすぐは、初めて会うはずの私たちに、通りがかるすべての子どもが「こんにちは!!」と元気に挨拶する姿にとてもびっくりしたけれど、でもそれってとてもいいことだ。


そんな我が集落、このおきらくな近所関係がとても気に入っている。

北海道自体もともと「ほぼ全員移住者」という歴史的背景があるためか、あまり排他的な空気も感じないし、誰々さんがどーしたこーした、なんて話はあまり聞いたことないし(我らが鈍感で無関心なだけかも?)はっきりいって居心地はかなり良い。

妻のSOHOや、常にふたりセットで動く関係上「ヒマです」ということはほとんどないわけなので、あまり飲み会やら集会やらが頻繁にあるのはちょっと。しかし隣近所知らんぷり!というのも寂しい。
そんなわけで、いまのこのくらいの「近所づきあい加減」がいいのかも。


ちなみに、この話は自分の住む集落に限って、の話であり、他のところは住んだことがないので知りません。
この集落、田舎とはいえ学校が2つあって、人口比での教育関係者(おもに先生?)が多く、実は人の出入りがわりと激しい。
また以前から積極的に移住を受け入れてきた歴史もあるので、もしかすると、この集落だけ特別な可能性もあるので念のため。

2005.05.18

ダイエット

妻は昨年6月からダイエットに取り組んでいる。
そもそものきっかけは不妊治療で通い始めた病院に、体重を減らす必要性を指摘されたこと。

それから約1年。
横を見ると「誰?」と言いたくなるような人がいる。

本人に最近会った人は納得してもらえると思うけれど、まあちょっとした子どもひとりぶんくらいは減ったようだ。
犬の散歩で歩いていると、「誰?」という顔をされることが実際あるし、いがさん奥さん換えたの?という好奇の顔で見られることも。
洋服は、ほとんど着られなくなってしまったし、指輪もクルクル。

といってもちゃんと運動して、食べ物のバランスも栄養士や医者にアドバイスを受けて計画的長期的に体重を落としているので、それほど無茶な感じではないし、貧血とかになったりもしていない。


時々「なにかスゴイ健康食品とかクスリとか使ったの?」なんて聞いてくる人がいるけれど、もちろんそんなことはない。

たしかに運動のためにエアロバイクを買い、また体重管理のためにパソコンとつながる体組成率計(体脂肪率とかが計れる高機能体重計みたいなヤツ)を買った…くらいはしたけれど、その程度だ。


ダイエットって、実はとても簡単だ。
要するに【食べる量(エネルギー)】-【使う量】がマイナスになれば痩せるし、プラスになれば太る。
簡単に言ってしまえば、食事の量を見直し、しっかり運動する…というだけのこと。

しかし!
簡単だけど、これほど難しいことはない。


妻がきれいに痩せて、困ったことがひとつ。

実は夫である自分も身長175cmくらい、体重は80Kg代で、「太っている人」の部類に入る。

そして最近、実家に帰ったり、親しい友人に顔を合わせるたびに妻と自分の顔を交互に見られるようになった。
「あんたもしっかり痩せなさい!」

…トホホ(笑)


それは置いておいて、結論として、妻のダイエットは成功した。
夫の目から見ても、気持ちも表情も明るくなったような気がする。

なくしたもの。
いっぱいの脂肪。高血圧。日々の六花亭や柳月のおやつタイム。
得たもの。
健康で軽い身体。いままで入らなくて買えなかった洋服の数々。前向きな気持ち(?)、そして赤ちゃん。


妻を見ていると、空腹時はおいしいものの載っている本や他人のブログを見たりして気を紛らわす。(余計食いたくなんないの?)
ご飯が減ってつらくても、○○○ならいくら食べてもいい!というような例外は決して作らずひたすら耐える。

記念日に夫がおいしいものを買ってきても、食べないと決めたら絶対口にしない。
多少体調が悪くても、やると決めたら絶対運動する。


妻の「いちど決めたらとことんやる」という態度はすごいものがあって、SOHOの事業が順調なのもそれによるところが多いし、このダイエットもそういう力によるものなんだろう。
時には「頑固者だなぁ」…と笑っちゃうこともあるけれど、しかしこのダイエットの結果はそれによるものなんだろうな。


妻よ、あんたはスゴイ!

…しかしあなたの夫には無理です………ボソッ…

2005.05.17

リビングの必要性

「四つ葉屋根の家」の構成は、夫婦寝室と仕事部屋、それにLDK。
そのほか、子ども部屋や客人向けに使えそうな汎用スペースと、トイレや風呂がある。

新築してもうすぐ2年、現状の部屋の使い方をちょっと振り返ってみた。

まずダイニング。
ご飯を食べたり、食後にしゃべったりお茶を飲んだりしてくつろぐのは、畳コーナーのあるダイニングスペース。
友人が遊びに来たりするときに座ってもらうのも、ダイニングスペースが多い。

続いて仕事部屋。
仕事部屋にはパソコンがずらっと並び、基本的には仕事をするための部屋だけど、パソコンを使う趣味(妻だったら庭の設計図や絵を描いたり、タネをネットで調べたり。自分だったら写真をいじったり、ブログ書いたり)はこの部屋で。
ここには仕事上のお客さんは来ないし、個人情報を扱う関係で仕事以外のお客さんも原則立入禁止なので、わりと良い感じに散らかっており(笑)、趣味の本などもここにあることが多い。

仕事部屋には違いないけど、実際には大人ふたりの書斎といった感じか?
冬は全面床暖房、夏はエアコンがあるので、いちばん過ごしやすいのもここ。

そして夫婦寝室。
寝るときは当然として、風呂に入る前後などの時間は、ここのベッドでゴロゴロしていることが多い。

と考えていくと、一番使っていない部屋は実はリビングだ。
リビングの目玉設備としてホームシアターがあるけれど、別に毎日映画見るわけではないし。

↓新築時のリビング。
living

この部屋の雰囲気にあった気に入ったソファが見つからず、唯一の解決方法であるオーダーメードはちょぉっと高くて今のところ手が出ず、未だにこの写真のように床座り状態なのも使わない理由の1つかも。


まあこれから子どもが生まれて家族構成が変わると、部屋の使い方も変わっていくとは思うけれど、家の設計時に想定した生活と、実際に2年弱住んでみての生活を比較してみると、こんなにもリビングを使わない…というのは意外だった。

かといって私たちにはリビングはいらない…とまでは思わないけれど、しかし全体としては小さい家なのにLDKだけで28畳くらいも占領しているのはちょっともったいないかなあ、と思ったり思わなかったり。

私たち専用の家ゆえ一般論は一切不要、という考えから「普通は」という言葉を禁句にしていた家づくりだけど、今思えばやっぱり「普通はリビングがある」という常識にとらわれていたのかも?

あんなに考えて考えて考えたつもりだったけれど、やはり家づくりというのはなかなか難しいものだ。
ま、それが楽しいところでもあるけれど。

2005.05.16

夫の実家の手伝いは必要?

先日、東京に住む妹と電話で話をしていたら、母親が出産の手伝いをしに北海道に来ようとしている…ということが偶然発覚。

ええっ!?
そんな話はまったく聞いていないけど!?

どうやら私たちには一切相談せず、自分の支援が必要に違いない、と決めつけて、ひとりで勝手に話を進めていたようだ。


あわてて実家に電話をかけ、母親の言い分を聞くと、母親自身、息子が生まれたときに、同居していた義母に家事や赤ん坊の世話をかなり手伝ってもらい、それがとても助かったから…ということらしい。


うーむー。

こういうときは妻の意見が最優先。
聞くまでもないけど一応聞いてみると、妻の意向としては、たとえ赤ちゃんの世話が大変でも、夫と赤ちゃんだけのほうが気が楽…というスタンス。

嫁と姑、仲が悪いわけでもないし、なにか相性がよくない…というわけでもないのだけれど、妻はとても気遣いをするタイプ。姑への気遣いだけでとても疲れちゃいそう。


自分の意見としても、いままで二人でお気楽に生きてきて、そこに母親とはいえ他人が一時的にしろ同居する…というのはちょっと想像しにくい。

もちろん掃除もちゃんとしなきゃいけないし、トイレのときは扉閉めなきゃいけないし、所かまわず放屁しながら歩けないし、風呂上がりに裸でウロウロできないし……ってそれは子どもがいても同じか(笑)


いままで妻の仕事が猛烈に忙しく、家事その他のすべてを、夫である自分が仕事をしつつなにからなにまでやっていた期間も長い。
なにしろ自称兼業主夫だし、もちろん赤ちゃんが来ても、とりあえず一人目は夫婦ふたりで乗り切れるような気がする。

妻の食事の仕度は今でも自分がやっているし、いざとなれば今は昔と違って24時間営業のスーパーや、冷凍のお総菜など、なんでもある。
困り毎にはネットもあるし…。

それに我が家は車がないと、買い物にも銀行にも病院にもどこにも行けないけれど、免許を持たない母が手伝いにきて、右も左もわからない土地でどうする気なのだろうか?


30年前の母の出産当時は夫のサポートなんてこれっぽっちも受けられなかったのであろうことはすぐ想像できるけど、自分の場合はまぁ困ったことがあれば会社を休むのも容易。もちろんサポートする気も満々。

自分はおっぱいはでないけど、しかしそれは母だって同じだし。

それに自分たちの都合だけで北海道に移住してきたのだから、できるだけ自分たちのことは自分たちだけで解決したいという気持ちがなきにしもあらず。

私たちの気持ちとしては「来ないで欲しい」…とまで言うとちょっと言い過ぎだけど、今の仕事を投げ打って、身体の調子も悪いのに(クビが慢性的に痛いらしい)、無理して来てもらうほどのことはないと思う。

初孫の面倒を見たい…という気持ちもある程度は理解できなくもないけれど、しかし今回はちゃんと説明してお断りすることに。
まあ7月にでも、みんなで遊びに来てちょうだい。

というわけで、夫の実家の支援、今回は申し出があったのにわざわざ断った…という話。

とはいえ強がってみたものの…本当は赤ちゃんのいる生活自体がぜんぜんわからないからそんなことが言えるのかも?とも思う。

なにしろ自分も妻も、本物の赤ちゃん自体、さわったことはもちろん、あまり見たことすらなくて、いろいろ読んだり聞いたりしているけれど、知識だけの頭でっかち状態だ。

赤ちゃんの世話が、もう想像を絶するくらいに大変で、重労働で、もう大変!誰でもいいから助けて!という状態に絶対ならない…という確信はなく、単に「わからないだけ」だ。

さてさて、どうなりますか。

2005.05.13

父親・母親学級 妊娠35週目(9ヶ月)

田舎暮らし話はちょっと一休みして、今日は妊娠話。

自分は今回の出産にあたり、ぜひとも立ち会い出産にしたいと思っている。
子どものいる知り合いに聞くと「あまりおすすめできないよ(痛そうなだけでオロオロしゃうから、とか)」「実感ができるからぜひ」とか、人によっていろいろ意見が分かれるけれど、次があるのかないのかわからない貴重な経験、ぜひ「いのちが生まれる瞬間」というのを見てみたい。
夫婦ふたり結婚してこれまでずっとふたりで生きているのだし、これからもそうなのだから、出産という大事なときにも妻のそばにいてあげたい…と思う。妻も立ち会い出産が希望だ。

さて、今日は産科で行われる妊娠教室の日。
この病院では、立ち会い出産希望の場合は、夫は必ずこの教室を受講しなければならず、受講していない場合は立ち会うことはできない決まり。

というわけで会社を抜け出して行ってきた。

「必ず受講」ということなのでいろいろ大変なことを言われるのかと思いきや、内容は一般的なお産の経過の説明や、注意事項などで、特に夫向けの注意事項はなく(「奥さんの足側ではなく、頭側にいて励ましてあげてください」程度)ちょっと拍子抜け。

とはいえ2時間の講習で、目前に迫った「出産」という大イベントの流れはかなり理解できた。

たとえば習ったことのひとつ「入院すべきタイミング」は…
・陣痛が10分間隔になる
・破水(温かい水がでる)したとき
・その他異常があるとき
のいずれかのとき。


妊娠出産についてなにも知らないときの出産イメージは…
奥さんが急にイタタタ…と腹を抱え「あなた生まれそう!」とか言って(笑)、あわてて病院にタクシーや救急車で駆け込み、ぎりぎりセーフで誕生!という感じ。


でも実際は、次第に陣痛が来て、その間隔がだんだんと短くなってきたら、入院の準備。
風呂に入り、仕度をして、場合によっては掃除をしたり買い物をしたりして、10分間隔になったら病院へ。

それから出産まではまだ10時間くらいかかるのが普通で(初産婦の場合)、そんなにせっぱ詰まった印象ではないみたい。
ふーむ。そんなもんか。


田舎暮らし&移住者(=近くに実家がない)という事情ゆえ、人とは違う心配もあった。
たとえば仮に平日の昼間、自分の仕事中にお産が始まるとしよう。

我が家の場合、会社から自宅まで長めに見積もって1時間弱、自宅から産科までも1時間。
たとえば仕事中に「すぐ来て~!」と自宅から職場に呼び出しがあり、即自宅に向かった場合でも、その電話から病院まで最短で2時間は必要。

仮に迎えに行かずにタクシーを呼んだとしても、タクシーなんておそらく来るまで30分はかかるだろうし、この2時間って時間は果たして大丈夫なのか!?とちょっと心配していたけれど、まあ特別な場合以外は大丈夫そう。


そんなわけで、予定日まであと1ヶ月。
妻も「ののお」も元気。

2005.05.12

住んでいるところ

今日は移住した当初の暮らしぶり、家賃2000円でのサバイバル生活について書こうと思ったけれど、つい先日同じ内容を書いたばかりなので、リンクでご紹介。
こちらです→スタートの季節

そこで代わりに自分たちの住む集落について少し。

…の前にまずは、十勝と帯広のご紹介から。
十勝人に言うと誰も信じないけれど、実は十勝って十勝人が考えているほど全国的な知名度は高くない。
一般の道外人にとっては「北海道のどっか」くらいの認識だと思う。

おおざっぱに言って、北海道の真ん中から右下あたりの一帯が十勝。
「十勝」という地名があるわけではなく、このあたりの20市町村をまとめて「十勝」と呼ぶ。

十勝の広さは10,830平方キロ。
多摩の山も含めた東京都全体の5倍の広さに、人口たったの36万人。

その中心地となるのが帯広市で、人口17万人くらい。
冬は日本有数の寒冷地で、気温はマイナス20度をも下回る土地柄。
最近は豚丼効果で少しは名前が売れたかな?

そこに自分のサラリーマン職場があり、日々の買い物やいろいろな用足しは、たいていこの帯広で済ませることになる。


そして自分たちが住んでいるところは、この帯広のとなりまちの芽室(めむろ)町というところ。根室(ねむろ)じゃありません。
人口は18700人。

そしてその芽室町のなかでも、街の中心部から15キロくらい離れた集落に現在の住まいがある。

この集落に住むのは、約80世帯200人弱といったところ。
(って役場のホームページに書いてあったけど本当か?もっと少ない気がするけど…)

ときどき「隣の家まで何キロ?」とか聞かれるけれど、集落内だけをみればいたって普通の住宅地。
たとえば我が家の区画は20m弱四方くらいなので、田舎ってわりにはそれほど広い…ということもない。

集落内には小学校・中学校・郵便局・駐在所や小さな商店などもあり、上水道に下水道、もちろん電気も電話も使え(携帯は使える会社と使えない会社があるみたい)、たしかに田舎であることはたしかだけれど、一般的に想像されるような田舎とはちょっと違うかもしれない。
(ただしコンビニや駅、本屋やスーパー、銀行や病院なんかは15キロ離れた街の中心地までありません)


さてさて。
この集落、住み始めて5年になるけれど、実はとても気に入っている。
(当初住んだ家賃2000円の家も、新築の「四つ葉屋根の家」も両方とも集落内)

水がおいしい、信じられないほどの静けさ、澄み切った空気、ヒグマが出たりノウサギすら庭で見かけるほどの自然の宝庫、美しい河川、移住者への理解ある住人気質…などもたしかに素晴らしいけれど、なかでも特にお気に入りなのが、この集落自体のロケーションだ。


晴れた日の日中に、街から15キロの道のりを家に向かって目指そう。

ずーっとまっすぐな道の両側には、広大な畑が広がっている。

冬はどこまでもどこまでも白い大地。
春は、土の焦げ茶と麦の緑。
夏、風にゆれる小麦と、ジャガイモの花。ビートや濃い緑。コロコロとまあるい牧草ロール。

そして白い雲、青い空。
まっすぐに並んだ防風林。
さらに奥には、遙か彼方、えりも岬まで続く日高山脈の雄大なやまなみ。

毎日毎日同じ道を通っていると、土が耕され、作物が植えられ、ぐんぐんと成長していくさまが手にとるようにわかるのも楽しい。

さらに道を進んでいくと、遠くに見ていた日高山脈がぐんぐん近づいてくる。
途中スキー場の横を通り過ぎ、林を通り抜ける。

あるときは吹雪に遭い、あるときは新緑が目にまぶしく、またあるときはたんぽぽの綿毛につつまれ、またあるときはカラマツの紅葉で一面真っ黄色になる、そんな林。

林が終わると道は上り坂になり、いよいよ山が目前…といったところで、ようやく集落に到着。

自分はこの道のいかにも「北海道!」といった趣きの一連の風景、そしてこの道の先にある私たちの住む集落の「日高山脈の山ふところに抱かれている感じ」がとても気に入っている。

そういえばこの道、正式名称を「道道芽室大樹線」というけれど、集落内に住む音楽家夫妻が、この道の移りゆく季節の風景に感動して、道をテーマに歌った歌だってあった。

そして夜。
そこには満天の星空が広がり、月のない夜は天の川に圧倒されそうだし、月が明るい夜には月明かりに照らし出された日高山脈がまた幻想的で大好きだ。

たしかに山のすそ野のようなところなので、帯広などに比べるとあきらかに雪は多いし、気温も冬は低く夏は高く、気候的にはかなり厳しいのも事実だけど、そんなこと吹き飛ばしてしまうくらい、この集落のロケーションは素晴らしい。

田舎暮らしだけど田舎暮らしじゃないよ、とか、まあいろいろ言うけれど、たしかに住んでいるところは田舎と言って差し支えないだろう。

そこでどんな暮らしをしているかというと…

田舎暮らし?に続きます(笑)

2005.05.11

田舎暮らしの仕事-夫編

実際に移住が現実のものになる直接のキッカケは、行政がやっている東京発の移住体験ツアーというのに参加したこと。

このツアー、3日間の日程のうち1日目は住宅地等の住環境の見学と既移住者を交えた歓迎パーティ、2日目は企業との面接(事前に企業側には参加者の履歴書、参加者には求人票が配布されていた)、3日目はアウトドア体験…という内容。

2日目の面接では4社と面接を行い、ハッタリ全開で話をして、その後の本面接などを経由して採用ということになる。
(残念ながらこのツアーは景気悪化による求人低下などにより?中止になってしまった)

実際の移住にあたって考えるべきことは2つ。
ひとつは仕事(収入源)をどうするか。
もうひとつは住まいをどうするか。

このうちの「仕事」については、こんな経緯で比較的簡単に見つかった。
私たちの場合は、そもそもの目的が「田舎暮らし」ではなく「北海道に住むこと」だったので、それほど仕事についてはこだわりがなかったし、まあそれまでやっていた仕事と同じ仕事が楽かな?といった感じ。

ちなみに現在でも、それほど仕事に選り好みしなければ、求人はそれなりにあるようだ。
ウェブ上のハローワークでも全国の求人が検索できるので、関心のある方は一度見てみても良いかも。

「田舎暮らし」については、どうせ北海道に住むならやはり札幌のような都会ではなく、自然があって、景色がよくて、空気や水がきれいなところがいい…そんなふうに漠然と考えていた。

で、住まいについて続きます。

2005.05.10

北を目指す

先月、Nifty会員誌(そんなのあったのか!?)からこのブログを「田舎暮らし」の特集で掲載させて欲しい旨依頼があって、メールで質問に回答してデジカメ写真を送るだけだったので、ちょちょいと答えておいた。
掲載誌を送ってくれる約束だったので、それが読みたいが為にOKしたのだけれど、まだ送られて来ない。
だからてっきりまだ出ていないのかと思いきや、実はもう世に出ているみたい。これです。
なんですと~!?

というわけで、この冊子から当ブログを見にきていただいた方になかには、田舎暮らしについて読みたい…というニーズがあるような気がするので、少しの間「田舎暮らし」について書いていきたいと思います。
いつもご覧いただいている皆さんには、若干これまでの内容と重複しますが、どうぞお許しを。

北を目指す

私たちの田舎暮らしを語るには、まず「北海道への想い」について語らねばならまい。

そもそも私たちは北海道の生まれではない。
出身地は神奈川県、自分は鎌倉で妻は茅ヶ崎だ。
北海道には親戚もおらず、縁もゆかりもないこの十勝地方に引っ越ししてきたのが、ちょうど5年前。
いわゆるIターンというヤツ。


北海道を知ることになったのは、自分の高校生時代に「周遊券」というフリーパスのようなきっぷを使って、鉄道で北海道をひとりで旅したことがベースにある。

2週間程度、あちこちのユースホステルや、いまでいう「とほ宿」に泊まって歩いた。
知らない人の車に乗せてもらったり、少しは思い出もあるけれど、でも特にコレといったスゴイ体験をしたわけではないし、一生に影響を与えるような衝撃的な出会いがあった…というわけではない。

でも、高校生の自分は、広い広い大地とそこに住むおおなかな人たち、彼らのフロンティア精神溢れる気質、気候や空気、そんなものにイチコロになってしまった。

それ以来、北海道好きになった自分は、大学生になっても就職してからも、休みのたびに、あるときはJRで、あるときはフェリーで、またあるときは飛行機でと、何度も何度も北を目指した。

そのたびに北海道の魅力にはまってしまい、これはもう住むしかないでしょう…とぼんやりと考えていた。

その間に知り合い、一緒に行動を共にするようになった妻もまた、洗脳がうまくいったのか、あるいは逆に彼女に洗脳されたのかはよくわからないけれど、一緒に北海道への想いは募るばかり。


その間にカナダなど北方の海外にも行ったし、国内の他地域もいろいろ見て回ったけれど、やはり日本の北海道が好き。
自分も道民になりたい。北海道に住みたい。

そんな気持ちは大きくなるばかりだった。

それは単純に、北海道という土地が好きだから。

好きなことに明確な理由はない。
もちろん、食べ物がウマイとか、自然が多い?とか、人が少ないとか、春がスーパーゴージャスだとか、季節の移ろいが最高とか、フロンティア精神溢れる土地だとか、小さな理由は挙げられるけれど、でもどれもわざわざ居住地を変えるほどの理由にはならない。


そうそう、新卒で就職するときに「北海道の会社」を選んだ、なんてエピソードもある。
昔からコンピューターをいじっていたし、大学の専攻もその関係だったので、当時北海道最大手のIT系の会社を受け、無事に採用。

2ヶ月間の新人研修は札幌で行われ、札幌にある独身寮に2ヶ月間入居して、夢の北海道暮らし。
北海道を愛して止まない同僚や、道産子の同僚たちと、いろいろなところにいったり、とても楽しい2ヶ月間を過ごす。
(もと同僚のみなさん元気でやってますか?)

ところが、この会社はちょっと大きすぎて、北海道のあちこちに散らばる拠点の他に、主要拠点として「東京支社」が品川にあった。
2ヶ月間の研修の終わり、渡された辞令にはなんと「東京支社勤務を命ず」。

がーん。
そんなわけで、北海道人になる夢はこのとき一時棚上げ。

とはいえ、別にこの東京支社での仕事や、その後すぐ結婚して住んだ横浜での暮らしに不満があったわけではない。
仕事の上で大切なことはすべてこの会社で学んだし、毎日忙しいながらも充実していた。
海と大きな公園が近い白い小さなアパートも気に入っていた。

事実、結婚してすぐに京浜急行沿線で新築マンションを買おうとしていた時期があり、かなりの数の物件を見たし、住宅ローンの審査も終わらせて、ある高層マンションでは購入の申し込みもした。
(結局4倍だった抽選に外れて買えず。もしこれが当たっていたら、また違う人生だったかも?と思うと楽しい)

でも、そんな毎日のなかでも、ふと北海道の景色や、そこに住む自分たちの姿を思うことがあった。

楽しい毎日だったけれど、でも10代の後半から20代中頃にかけての自分と妻には、なんとなく「自分たちが生きる場所は北海道」、という確信のようなものがあったのも事実。


単純に、北海道という土地が好きだから。肌にあっているから。
そんなわけで、私たちは北海道に住むことがずっと夢だった。


ところが実際に移住しようとすると、実はそれほど大変なことではなく、「えいっ」とやる気になってしまえば、それほどたいしたことではない…ということに気付く。

「夢」だなんて大げさで、まあ遠い引っ越しみたいなもの。
たしかに親戚も知り合いもいないけれど、新婚の私たちには、そんなのもともといないようなもの。

--
そんなわけで、明日は実際に移住したときの話に続きます。

2005.05.09

岐阜と高山へ その2

というわけで続き。

3日目。
朝ご飯を食べて街に出かけます。
陣屋前の朝市。
ichiba2


さんまち通り。
3machi
格子戸が美しい。
町並みを見ながら、いろいろと食べ歩きしたり、お土産を買ったりと楽しい。

ここは産婦人科で、今も診察をしている本物のお医者さんだって。
sanka

と、ここで一度ホテルに帰りお昼寝。
ホテルへは徒歩10分くらいだけど、途中休憩をしたり、カフェで休んだり。


飛騨の里というところ。市内から車で10分くらい。
hidanosato

合掌造りの家、本なんかではよく見るけれど、実物は初めて見た。
ここも全部は見ずに、適当に休憩しつつ見学。

高山陣屋。
jinya


そしてまたホテルに帰って、またまた休憩&昼寝。

気が付くと夕方になり、飛騨高山といえば飛騨牛でしょう!ということで、最後の夜は飛騨牛。
stake
たしかに霜降りで非常においしいのだけど、でかすぎます(笑)

最終日。
最終日は早めにホテルを切り上げて、昼頃の飛行機で帯広への帰路に。
ここでもまたSAで休憩しつつ、空港近くの喫茶店でまた休憩…という感じ。

空港のカウンターでは「妊娠してますね?予定日は?」とチェックが入る。
妊娠してからずいぶん飛行機に乗ったと思うけど、そんなこと言われたのは初めて。
優先搭乗しますか?と聞かれたけれど、別に先に飛行機に入ったところでいいことがあるわけでもないので辞退。

ちなみにこの日の乗客は10数人といったところ。
1日1往復しかなく、万博期間中、しかもGW中なのに…少なすぎます(^^;;
こりゃ名古屋便も関西便のように、そのうち消滅してしまうかも…。
十勝人と名古屋人のみなさん、帯広名古屋便にもっと乗ってください!(笑)

というわけで、なにごともなく帯広に到着して、無事に旅行は終了~!

旅行中、行く先々で「予定日はいつ?」と聞かれて、みんなに優しくしてもらい、オマケも多数もらったり、売店のおばさんにいろいろアドバイスしてもらったり、妻はお姫様気分だったみたい(笑)

実際、妊娠後期ということで、恐る恐る…という気分だったところもあるけれど、結果的にはとても楽しめました。

2005.05.08

岐阜と高山へ その1

というわけで、自己責任!とか9ヶ月はもう安定期じゃないよ!とかいろいろ言われつつ(誰に?)、妊娠34週の妊娠後期に旅行に行ってきたのでその様子をご紹介。

初日。
今回も帯広-名古屋便のミニ飛行機。
この路線、行きは日高山脈-支笏湖-洞爺湖-函館-青森-新潟-松本-岐阜-名古屋という感じ。とても天気が良くて、空からの景色が楽しめる。
どういうわけか、操縦席からずっと「右手に見えるのは…」とか解説してくれて、とても楽しい。

この山は…なんだったか忘れました(笑)
ja205


今回4日間借りたのはこの車。
半電気自動車で、とても静かで燃費もいいし、パワーもあってとても乗りやすく、最近レンタカーはこのプリウスをリクエストすることが多い。4WDの設定があれば欲しいのになぁ。
pri


妊婦雑誌には妊娠後期は旅行は避けるべし…とあり、できるだけ無理はしないように…と初日は飛行機で移動しただけで、午後4時過ぎには宿(岐阜の旅館)に入って、ゴロゴロ。
なにもせず、風呂入ってご飯食べてのんびりと過ごしました。
この宿は豆腐料理が名物らしく、たしかに夕食も朝食も薄味の和食でとてもおいしかった。茶碗蒸しはもちろんミツバとエビの入った本州風(笑)
chawan


2日目。
朝ご飯前にちょっと宿のまわりを散歩。中部地方はもうフジも咲いていて、とてもきれい。

さて今日は岐阜の「花フェスタぎふ2005」へ。
ここは世界一(!)のバラ園があるところ。妻はバラやガーデニングが大好きで、ここにはぜひ行きたい!と希望していた。
予想通りバラにはまだ少し早かったけれど、園内は花でいっぱいで、とてもよかった。

こんな感じ。
hanafesta

見てください。これはビオラの色。すごい…。
biora

miniflower

妻が前からずっと探していたという、ナントカというイギリス産の白いバラの苗もゲット。
bara

その後、できたばかりでカーナビにも載っていない高速を通って高山へ。
途中大渋滞しているところがあり、やはりゴールデンウィークなんだなぁ…と苦笑。

ホテルには夕方に到着。
早めに夕食にしてもらい、またしてもゴロゴロ。

夜、ホテル主催の「高山の夜の町並みを楽しむツアー」というのがあったので、これに参加。ちょっと参加人数が多くてびっくりだけど、昼間とはまた違った雰囲気の町並みが見られました。ガイド氏の説明もけっこう良かった。
gifu_night

後半に続きます。

2005.05.07

ゴールデンウィークと雪

今年のGWは6日に休みをとって、3連休+6連休。

今年は7年に一度の素晴らしい曜日並び。どこかに遊びに行くには最適。
とはいえ、妊娠9ヶ月半の妻と一緒なので、今年は旅行は無理かなぁ…と直前まであーでもないこーでもないと夫婦会議。

しかし体調もいいし、今度こそ本当に最後の旅行だし(笑)、やっぱり行こう!ということになり、まだ飛行機に空席があって、さらに妊婦でもゆっくりできそうな宿で連泊できるところ、しかも急に産科系のトラブルがあってもなんとかなりそうなところ、そしてそれほど人でごった返していないところを探していたのが1週間ほど前。

候補地として長崎・京都・飛騨高山・函館・札幌などがあったけれど、結局岐阜・飛騨高山へ。

先日万博で行ったばかりの名古屋小牧空港に再び降り立ち、4日間ほど旅行して帰ってきました。

お天気も良く、おいしいものをたらふく食べ、江戸時代から続く古い町並みを闊歩し、花をたくさん見て、とても良いゴールデンウィークでした。
その様子はまた後日にするけれど、妻もおなかの「ののお」も絶好調。

で、帰ってきて早々、またコレですよ…。
0507

岐阜は30度もあって日焼けするほど暑かったのに、十勝は雪。
すでに2台ともタイヤ交換済ませちゃったし、これじゃお昼食べにも行けない…とほほ…。

2005.05.02

おおきな腹 妊娠33週目(9ヶ月)

連休の谷間の今日は、自分も妻も通常営業日。つまり仕事。
ゴールデンウィーク真っ最中ということで、いつもよりヒマかな?という期待は裏切られ、なんだかバタバタと忙しい。
妻も今日は連休前&産休前の追い込みということで、シャレにならない忙しさの様子。

さて、妻の妊娠は妊娠33週で9ヶ月。
今週は本来、妊婦定期検診があるべき週なのだけれど、平日が2日しかなくて産科の予約が取れず、今週の検診は無し。

妻のお腹はいよいよ大きくなり、横から見るとぽーんと突き出たお腹がほほえましい。
洋服も、妊婦服はもちろん大丈夫だけど、そうでない服はボタンが閉まらなかったり。

歩く姿勢も自然とお腹と胸を突き出すようになり、妙に姿勢がいいように見えて、歩くスピードもゆっくりになってきた。

胎動も相変わらず激しく、服の上からでも容易に動いているのがわかる。
お腹の形は、飛行機の先頭のようになったり、四角になったりと、うにゅうにゅ動いている。
腹の上から触っても、固いところや、突き出たところがあって、これはもしかすると手?ここはかかと?と、わかりそうな、わからなそうな、そんな感じ。
ネット情報では、頭はもちろん耳もわかる…なんて話もあったけれど、それは無理みたい。

本によると20分くらいごとに起きたり眠ったりしているらしいけれど、たしかに胎動の周期はそんな感じかも。
胎児名「ののお」なので、「ののおー、おはよう!」とか声をかけると、おなかのなかからポン!と返事をする。(…わけないか)


妻の様子はというと、若干疲れやすくなってきたくらいで、それほど体調が悪いということもなく、相変わらず元気。
犬の散歩や土日の買い物にも一緒に行っているし、ガーデニングや旅行の雑誌などを楽しそうに見ている。

先日の休みの日などは、前夜映画見てて遅く寝たのに、なぜか朝6時頃に起きてしまい、ウトウトしながらふと隣を見ると妻がいない!
ええっ!?
と、びっくりして飛び起きると、庭でのんきにバラの手入れなどをしている。
…おいおい…(笑)

平日は仕事。
休みの日は、でかけたり、庭のことをやったり。
そんな毎日。

ところで1ヶ月ほど前に
準備着々 妊娠28週目(8ヶ月)
という記事を書いたところ、ベビー用品の要不要について、いろいろな方にアドバイスをもらいました。ありがとうございます。

結局その後どうなったかというと…
・ベビーカー
…買いました。これって折りたたみ式なのはなんとなく理解していたけれど、ちょっとびっくりするような小ささに折りたためてびっくり。
・沐浴用のベビーバス
…これも買いました。子どもが大きくなったらスイカを冷やすのに使おう(笑)
・だっこひも
…これは買わず。赤ちゃんが来てから考えます。

その他、出産入院用品(下着類だのいろいろ)も完璧、新生児用の服もよりどりみどり完璧、チャイルドシートやベッド、紙おむつに至るまで、お金で買えるモノの準備はたぶん完璧。

あとは名前と、心の準備だ(笑)

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ハルト

  • 20060/04/21
    2005年5月に生まれた長男「ハルト」の写真です

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