北海道移住

2009.02.20

寒い家での日々

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ここ数日とても寒く、朝は氷点下20度前後まで冷え込んでいる。
とはいえ、今住んでいる新しい家はとても暖かく、家の中で長袖の服なんか着た事がないし、寝るときもTシャツ短パンくらいでOKで、家の中にいるとそんな屋外の寒さを感じる事は少ない。


そしてこの季節、思い出すのは北海道に移住して最初に住んだ古い家での生活のこと。

この新しい暖かい家とは対照的に、断熱材ゼロ、床は傾き隙間から地面が見えるような部屋で、すきま風はビュービュー。
吹雪の日なんかは家の中に雪が舞い、リビングの床には氷柱ができ、それはそれは寒い暮らしだった。

寝るときは厚い下着にパジャマを重ね着、電気毛布をはじめとして6枚重ねの布団…という感じで寝るのに、それでもこの季節は寒く、明け方布団の首の所が凍り付いていたり、あまりの寒さに布団から出られず、布団のなかで朝食をモソモソと食べたりした。

「風呂が寒い?それは入浴後にお湯落とすからでしょ?」
と言われて、なるほどそうか!と、入浴後にお湯をそのままにしておいたら、翌朝には浴槽全体が巨大氷になってしまい、春先まで毎日銭湯に通う羽目に…なんてこともあった。


そんな暮らしだけど、じゃあ悲壮感に満ちていたかというとそうでもない。

外に寝ているのとあんまり変わらないので、日々の温度変化を肌で感じる事ができる。

おっ今日は昨日よりちょっと暖かいんだな…とか、あ、太陽がでて壁がちょっと暖かくなったね…とか、おっ隣のおばさん雪かきをはじめたね…などなど。


特に2月下旬から4月くらいの時期は日々、ほんのちょっとずつ暖かくなっていくのを毎日全身で感じていて、まだまだ春は遠いのに、まだ台所のオリーブオイルは凍ったままなのに、なんだかワクワク。

つららがぽたぽたと溶ける音に心ときめき、昨日よりちょっと強くなった日差しを感じたり。

その変化はとても小さいのだけど、そういう暮らしをしていると、なんだかそんな変化にとても敏感になる…そんなことも知った。


そして怒濤の春。
布団の枚数はどんどん少なくなり、寒さをしのぐ工夫もしなくて良くなり、水道もちゃんと使えるようになり、食事中に食べ物が凍ったり、犬の水が凍り付く心配もなくなる。

長い長い冬を越えたあとの春の訪れの感動は言葉にできないものがあって、ただ「ずいぶん暖かくなったね」という話をしただけなのに、感動のあまり夫婦の目に涙が…なんて事もあった。


寒い家での暮らしはサバイバルでつらい事も多く、それは生きる力を問われるようでもあったけど、そのぶん家にいながらにして自然の変化を身体いっぱいで感じて、季節の変化を体感しながら暮らす…そんな暮らしもそれほど悪くはない。


それに対して、厚い断熱材ですっぽりと覆われた今の家はあまりにも暖かく、複層ガラスや高断熱カーテンで完全に外と遮断され、外の気配を感じる事も少ない。
日々の変化なんか全然わからない。

もちろんそれは私たちが望んだ暮らしではあるけれど、でもちょっとあの寒い家での生活が懐かしくなることもある。

子ども達には一生のあいだに一回だけでいいので、あんなふうな家で冬を越してみて欲しい…なんてこともちょっと思ったりもする。


結局、その家には3年住んで、春を3回迎える事になった。
この寒い家はまだ自宅の近くに建っていて、たまに家の前を通る事がある。

我らが転出して今年で6年。
その間ずっと空き家のままで、今は雪の壁に埋もれているけれど、そんな寒い日々を過ごしたことがあったなー、なんて横目で見ながら通り過ぎつつ、そんな暮らしがほんのちょっとだけ懐かしい日々だ。

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2008.05.01

移住8周年

私たち夫婦は2000年のゴールデンウィーク、いまから8年前の2000年5月1日に北海道にやってきた。

小さいクルマに毛布だの照明器具などを満載して、フェリーに乗ってさながら夜逃げのような格好でやってきた私たち夫婦。

最初に住むことになった家賃2000円の古い家、それは今でも近くに建っているけれど、その家の前を通るたびに家賃2000円暮らし、そして期待と不安の入り交じった当時の気持ちを思い出す。


家にはストーブもないし、電気もつかない。
床は抜けているし台所はないし、そもそも水道もない。風呂も使えない。電話もない。
当時はちょうど有珠山が噴火して、JR貨物に頼んだ引っ越しの荷物も遅れている…。

夢見ていた北海道田舎暮らしとはいえ、遠くから見知らぬ土地に来て、知り合いなんてひとりもいない土地で、こんな家でどうなることかと思ったけれど、でも結局は家の修理も楽しんでできたし、念願だった犬も飼えた。

冬にお風呂全体が凍り付き、浴槽全体が巨大な氷の固まりと化したときはホント困ったけど、でも我らは夫婦だったし、どんなことでもなんとかなるさ…そんなことを実感した8年間でもあった。


2000円の家に何年か住んでいるうちに、この地域の良さに気づいて、5年前には土地を購入。

家が壊れているなら自分たちで直そう、仕事がないなら自分たちで起業しようぜ、みたいな感じでやってきたのに、家族計画?だけは思い通りにいかなくて、当時結婚して6年か7年、子ども欲しかったのにまったく恵まれず、もう子どもはあきらめて「ふたり用の家」を設計して建てて引っ越し。

新しい家に住み始めた翌年には思いがけず妊娠して、長男ハルト誕生。
続いて2年後に次男夏樹誕生…というあたりはこのブログに書いてあるとおりだ。


子どもが生まれると、地域に格段に知り合いが増え、育児関係の集まりに顔を出すようになったり、その他の地域活動に誘われるようになったりもして、8年経ってようやく「ここが自分のホーム」という感覚を持てるようになった。

この地では移住者はいつまで経っても移住者なんだけど、でも自分の土地に自分の家を建てて、自分の家族が増えて、なんとなくここが自分の居場所だなー、という気持ち。


そういうつもりで来たわけではないけど、ここはとても子どもを育てやすい土地で、きっと子ども達は自然に囲まれたこの場所で、移りゆく季節を感じながらのびのび育っていんだろうなあ..なんて思うと、やっぱり思い切って北海道にやってきて良かったなぁ、なんて改めて思ったりする。


自分たちの住むところ、自分たちの生き方くらいは自分たちで決めたいし、幸せなことに今のところはそれができている我が家。
それができるのは、妻やいろいろな人や事柄のおかげで、本当にみんなに感謝だ。


交通事故にあったり、職を失ったり…なんてこともあったけど、でも全体としては快適で楽しい北海道田舎暮らし。

数十年という単位の長さで見ると、歳をとって死ぬまでこの家に住み続けられるかはわからないけれど、でも今のような日々がいつまでも続いたらいいなー。


5月は遅い遅い十勝の桜が咲き、すべての植物が一斉に芽吹き、命をふくらませる季節。
今年もまたそんな植物の成長を見ていると、初めて目の当たりにするそんな植物の成長に感動していた気持ちとともに、8年間の日々に感謝だ。

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2005.10.30

薪ストーブ火入れ

2005年10月の最後の週末、今シーズン初めて薪ストーブに火を入れた。
この薪ストーブは、上部に煙を二次燃焼させる触媒が付いているので、分解して内部を掃除。灰もきれいに掃除して、煙突をチェックして、ガラスのススを落とせば準備万端。

薪(といっても家を建てたときの余り材)をストーブの中に積んで、丸めた新聞紙に火を付ける。

…煙が上がって、パチパチと音を立てて薪が燃えだした。

犬が歩いてきて、ストーブの前に陣取った。
妻も赤ちゃんもストーブの前に座る。

ゆっくり、ゆっくりとストーブの表面が温かくなり、その輻射熱が部屋に広がって次第に温かくなっていく。

火力の調節は薪の量と空気の調節のみ。仕組みはとても単純だ。
空気を絞って、火の勢いを少し落とした。
薪は静かにゆっくりと燃えている。

…ゆらゆらと燃える火を見ていると、心も身体も芯から温かくなるよう。

火を囲んで、家族がなんとなく集まる時間。
その時間こそが薪ストーブの最大の魅力かもしれない。

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2005.08.09

船を作った話

カーポートのところに、木製のカヌーがぶら下がっている。
これ、手作りした本物のカナディアンカヌー。
長さ16フィート(5m弱)、重さ30kg、最大積載量400kg程度で大人3人まで乗れる本格的なもの。

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然別湖あたりでカヌーを浮かべ、静かな湖面を自由気ままに散歩するのはまさに至福の時間。
カヌーの魅力は、なんといっても静かなこと。そして視線が低いこと。

このカヌー、移住よりも数年前、北海道旅行中に作ったものだ。
妻と一緒に10日ほどの日程で道東旅行中の最初の頃、たまたま新得で昔カヌーを手作りしていた方とその人が作ったカヌーに出会ったのがきっかけ。

美しい曲線だけで構成された木製のカヌーに一目惚れしてしまい、カナディアンカヌー自体は釧路湿原やカナダで乗ったことがあって、その魅力は重々承知していたものだから、これを作りたい!欲しい!!と言うことで大いに盛り上がり、以後の旅行日程をすべてキャンセル、頼み込んで工房の未使用部屋にしばらく泊めてもらい、1週間ほどかかって作ったもの。

長さ数m、幅3センチ、厚さ5ミリほどの薄い黒松の木を多数、船のカーブを描くようにきっちりと貼り合わせて作ったもので、木の貼り合わせが美しく、まるで工芸品のよう。


制作中は工房メンバーのいかつい男達数人が朝から晩までつきっきりで作業を指導してくれ(彼らがほとんど作った…と言えるかも)、話を聞きつけた近所の方、工房メンバーの家族、材木屋さん、町の観光課のえらい人まで、いろいろな人たちが様子を見にきて、本州からの珍客である私たち夫婦にいろいろな話を聞かせてくれた。

北海道での暮らし、自然を相手に仕事をすること、食べ物のこと、気候のこと、森のこと、動物のこと、山のこと…。

当時どんな話をしたのか細かいところは忘れてしまったけれど、でもこのカヌーづくりを通じて出会った人たちとの温かいやりとりが、北海道移住への気持ちを高め、なんとなく夢のように感じていた移住が、現実的なこととして感じられるようになったきっかけになった…と今になって思う。

だからこのカヌーはそんな「北海道移住」への記念碑のようなもので、私たちにとっては大切なものだ。

カヌーの横には「IGA号」という船の名前、それから私たちの似顔絵が描かれていて、本当に世界で一つしかないの私たちの船だ。


マイカヌーを持っています!なんて言うと、バリバリのアウトドア派で、川や湖の達人のように勘違いされてしまうけれど、実はこのカヌーには数回しか乗ったことがなく、まったくの初心者。
自分たちの体型に合わせたライフジャケットもマイパドル(オールのようなもの)も、その他必要なものはすべて揃っているけれど、ほとんど使ったことがなく万年飾り物状態だったりする。

乗らない理由は主として自分達の技量の低さ。
沈(ちん:転覆すること)したときのセルフレスキューにまったく自信がなく、ライフジャケットを着けているとはいえ、泳ぐのもあまり得意ではないし、体力にも危険判断力にも自信がないし、沈のことを考えるとちょっと怖い。

猫に小判、豚に真珠とはまさにこのこと。

でもいいのだ。
これはこうして飾って、眺めて楽しむのだ。


とはいえ、子どもがもう少し大きくなったら一緒に静かな湖に浮かべて楽しむのもいいかも?
もう少し上達したら、釧路湿原を流れる釧路川や、十勝川を下ってみるのも楽しそう。

横浜のアパートに暮らしているときは、まさか自分の家にこんな大きなカヌーを保管して、時にはそれに乗って遊ぼう…なんて考えつきもしなかったこと。

やっぱり北海道はふところが大きい。

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2005.08.01

夏の大地

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EOS10D EF17-40mmF4L

家の近くに小高い山がある。
広い広い十勝平野を見渡せる気持ちの良い場所。
この季節、小麦の「小麦色」と、牧草やビート(砂糖大根)の緑、それに青い空のコントラストがまぶしい。

著名な観光地ではなく、いつ行ってもあまり人がいないけれど、それがまた魅力的な場所。
自宅近辺や日々の通勤路、職場や日々買い物をするところなどが一望でき、ここに来ると、この風景の中に生きているんだなぁ…と不思議な実感がある。

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2005.06.23

暑い北国

今週は暑い日が続いている。
今日、サラリーマン職場にある温度計は34度を指していた。

…暑い。

帯広の23日13時の気温をアメダス履歴で見ると33度。
湿度は低いのかもしれないけれど、やっぱり暑いものは暑い。

一般的には北海道は涼しいイメージだけど、決まって6月の下旬にはこんな日もある。

よく「冬の東京は寒い」という話をする。
これは暖房がよく効いた北海道の冬はどこも温かいけれど、東京に行くと家の中や建物の中の暖房が十分ではなくて寒いよ…という話なのだが、その逆で北海道の夏は冷房が十分ではなく暑い。

職場にはエアコンがなく(北海道はたいていナシ…ということではなく、自分のいる場所だけが特別に古くてボロいだけ)、網戸もなく窓をすべて開け放っている。

こんな日は、職場のほかの人たちもパートの女性たちもだらしない格好でウチワをパタパタしていて、作業効率はとても悪そうだ。

自宅は妻の職場兼用なので高出力タイプのエアコンがついていて快適だけれど、十勝全体でいえば一般家庭への普及度はかなり低そう。
スーパーや公共施設などはたいてい冷房があるけれど、少し古めの旅館などに行くと、部屋に冷房がなくてゲゲっと思うことがたまにある。

とはいえ夕方になれば涼しくなるし、夜になっても窓を開けておくと寒いくらいなので、夜暑くて寝苦しい…ということが基本的にはないのが救いだけれど、しかし北海道=涼しいというのは、ある意味正しいけど、別の意味では間違っているのかも。

東京にいた頃は、たしかに外は溶けるような暑さだったけれど、職場は冷房が効いていて、またよく居場所にしていたサーバー室なんかは寒いほどの冷房が入っていて気持ちよかったなぁ。

とはいえ、駅から会社までの徒歩や駅から自宅までの暑さを考えると、やはりトータルな暑さは東京の圧勝だけど…。

冬はマイナス25度にもなるのに、夏はこの暑さ。
年間の温度差は60度!?

帯広ってそんな街だ。

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2005.06.12

アスパラの味

今年もアスパラの季節がやってきた。
北海道の春の味覚、それはアスパラガス。

アスパラガスって、採った瞬間が一番おいしくて、だんだんと味が落ちていく…という代物。

とった翌日くらいでも十分おいしいけれど、当日とってすぐのアスパラのうまさといったら、もう別格級。

収穫時は切り口から水が出てくるくらい新鮮で、このとれたてのアスパラのおいしさといったら、絶品という他ない。

甘みがあって、柔らかくて、味に奥行きがあって、香りがあって、まるで別の食べ物。
「これって本当にあのアスパラ?」と思うこと間違いなしだ。

とはいえ、産地に住んではいるけれど、本当のとれたてを食べる機会はなかなかなくて、自分で「アスパラ刈り体験」、それもなるべく自宅の近くに行く…くらいしか方法がない。
それも、自宅出発時にはお湯を用意しておき、刈り取り後は脇目もふらず自宅に直行、即茹でて即食う…それくらいしなければならないので、この「おいしいアスパラ」を食べるのはなかなか難しい。

しかも当日中に食べないと、翌日には「ふつうにおいしいアスパラ」になってしまう。
まあそれくらいしても食べる価値があるほどおいしいというのも事実なのだけれど…。

さらにアスパラが収穫できるのはせいぜいこの時期の2週間程度。
この時期にここに住み、あるいは遊びに来て、運が良ければ食べられる…という、まぼろし級の食べ物。


さてさて、前置きが長くなったけれど、土曜日、すずきっちんの鈴木さんが遊びに来た。
いらっしゃーい♪おひさしぶりです。

なんだかいろいろと頂いてしまったけれど、そのなかのひとつが「いまとってきたアスパラ」。
鈴木さんは農家なので、自分ちにアスパラがあって、それを出発時にとってきてくれたそうだ。

キャー!!

というわけで、もらってすぐに大鍋にお湯をわかし、さっそくいただきました。
収穫からゆであがりまで1時間も経っていない、ホントにとれたてのアスパラはもう絶品!
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…これが食べられるだけで、十勝に住んでいる価値があるかも(大げさ)

鈴木さん、楽しいひととき&おいしいアスパラ、ありがとうございました~!

ちなみに鈴木さんの日記はこちらです。

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2005.05.23

定時に帰りたい

きゃらめるさんの記事とそこで紹介されている記事を読んでいたら、心の病と定時についての話。

というわけで、たまには自分のサラリーマンの話を少し。
考えてみれば「兼業主夫」なんて言って、平日まだ明るい時間にスーパーをフラフラしているのも、たしかに残業がほとんどないおかげ。

東京にいたときは、明るいうちに帰宅なんてありえなくて、それこそ京浜急行の午前1時頃に着く終電に乗って帰ることもしばしばだったし(これがまた車内は酒臭いし、かなり混んでいるしイヤなものでした)、徹夜もまあまああった。
身近に心の病にかかってしまう人もけっこう居た。

ところが地方にIターンしてからは、残業はあまりないし(少しはあるけど)、徹夜なんて5年間勤めて一度だってないし、土日に出勤することも年に1・2回あるかないか。
いまのところ心の病にかかってしまった人なんて見たことがない。

この差はいったいなんだろう?


そもそも、なぜ東京勤務は忙しかったか?
…それは、会社から要求される仕事量が多く、それをこなすのに時間内だけではとても無理だから。

なぜたくさんの仕事を要求されるか?
…それは会社に多くの売上げが必要だから。

なぜ多くの売上げが必要なのか?
それは……うーん…。
やはり各従業員に払う賃金が高いから…かなぁ?


いまのところ自分の職業(システムエンジニアないしはプログラマ)は、1人月というが「ひとりあたり月○○万円」という形で契約し、その期間はまるまるその会社の仕事、たとえばシステムづくりをして、そのお金をいただく…というような感じ。

たとえば、A社と1人月単価80万円という契約をしたとする。
2人で4ヶ月かかると見積もったシステムだったら8人月、つまり640万円ですよ、ひとりが1年かかる仕事だったら960万円ですよ…という感じで仕事をして自分の会社の売上げになる仕組み。


各個人あるいは各課には「このくらい売り上げるように」というノルマが提示される。

記憶があいまいだし、会社の規模も違うから単純比較はできないけど、たしか東京にいたときは、経験3年くらいの人の達成すべき年間売上額はひとり1千万円くらいだったような気がする。
一方現在の北海道勤務では700万円ちょいだったような…?


そしてこの差こそが、仕事の大変さの差、ということはないだろうか?
東京と地方ではそもそも単価がかなり違うというのはあるのだが、東京では複数のプロジェクトの同時進行をやったり(これはすごく大変)、契約人月より少ない人員で仕事を無理矢理こなしたりしていた。
高い単価を払ってくれる、しかし仕事もきつい客先の仕事を率先して受けたりしていたような気がする。
だいたい納期が超短期だったり、なにかとムチャな仕事のほうが単価は高いものだ。


会社はこの売上げのなかから、従業員の給料を払う。
売上げに対する人件費比なんてそんなに差があるものではないから、売上げの違いはそのまま給料の違いになる。

自分に当てはめて考えると、給料はたしかに大きく下がった。
東京を100とすると、今は65か70くらいか?
年齢による昇給の度合いも低いので、たとえばこの先5年10年と過ぎるに従って、その差はもっと広がるような気がする。

つまり地方勤務においては、要求売上げが低い=仕事への要求がわりと少ない、という図式があって、比較的仕事はきつくない。
ただし、それに応じて給料も安いのよ…という感じなのかも。

本当は、地方でも東京でも「猛烈働いて高給」「ほどほど働いて給料ソコソコ」みたいな個人にあった働き方が選べればいいと思うのだけれど、それはまだまだ先のことなのかな。

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2005.05.11

田舎暮らしの仕事-夫編

実際に移住が現実のものになる直接のキッカケは、行政がやっている東京発の移住体験ツアーというのに参加したこと。

このツアー、3日間の日程のうち1日目は住宅地等の住環境の見学と既移住者を交えた歓迎パーティ、2日目は企業との面接(事前に企業側には参加者の履歴書、参加者には求人票が配布されていた)、3日目はアウトドア体験…という内容。

2日目の面接では4社と面接を行い、ハッタリ全開で話をして、その後の本面接などを経由して採用ということになる。
(残念ながらこのツアーは景気悪化による求人低下などにより?中止になってしまった)

実際の移住にあたって考えるべきことは2つ。
ひとつは仕事(収入源)をどうするか。
もうひとつは住まいをどうするか。

このうちの「仕事」については、こんな経緯で比較的簡単に見つかった。
私たちの場合は、そもそもの目的が「田舎暮らし」ではなく「北海道に住むこと」だったので、それほど仕事についてはこだわりがなかったし、まあそれまでやっていた仕事と同じ仕事が楽かな?といった感じ。

ちなみに現在でも、それほど仕事に選り好みしなければ、求人はそれなりにあるようだ。
ウェブ上のハローワークでも全国の求人が検索できるので、関心のある方は一度見てみても良いかも。

「田舎暮らし」については、どうせ北海道に住むならやはり札幌のような都会ではなく、自然があって、景色がよくて、空気や水がきれいなところがいい…そんなふうに漠然と考えていた。

で、住まいについて続きます。

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2005.04.22

スタートの季節

もうすぐゴールデンウィーク。
この季節になると、いつも北海道に移住してきた当時のことを思い出す。

2000年の4月のおわり。
通い慣れた職場に挨拶をして別れ、車いっぱいに荷物を積んで、片道切符を手に茨城の大洗港から苫小牧行きのフェリーに乗った。

移住なんて「遠い引っ越し」みたいなもの…というのが持論だけど、それでも知らない土地、知らない人たち、知らない職場、知らない冬の生活…と不安もいっぱい。
そしてずっと夢見ていた北海道への移住の実現ということで、そんな不安と大きな期待が入り交じっていたような気がする。


最初に住むことを選んだのは、家賃2000円のふるーい家。

大昔は床屋さんだったと思われる廃屋寸前の建物で、こんなとこ住めるの?というのが第一印象。
窓は割れ、床は傾き、家の中は昆虫の死骸や蜘蛛の巣だらけの無惨な姿。

最初は水道もガスも使えず、そもそも台所すらなかった。
照明もなく、照明を付ける天井側のソケットもなかった。

いまでこそ「水道が壊れたら水道屋さんに電話」という感じだけれど、当時はなんでも自分でやってやる!と意気込み、まずは台所をどの部屋に設置するか考えるところからはじめ、ホームセンターに行って台所(流し台)を購入。

届くまでしばらくかかるので、その間に、水道の配管工事を行った。
といってもホームセンターで売っている部材を見よう見まねで組み合わせて、自己流で素人工事。

水道管を通そうと壁にドリルで穴を開けたら、予想と違うところに穴があいて焦ったり、水道管の径が合わなかったり、水道管が外れて噴水になって家中水浸しになったりと、失敗ばかり。
夫婦ふたり、ほこりまみれで真っ黒になっても手も洗えず、毎日毎日温泉に通ったっけ。

結局水道が使えるようになるまで1週間かかり、蛇口をひねって水がちゃんとでてきたときは、感動的ですらあった。

ゴールデンウィークがあけてからサラリーマンとして勤めはじめ、毎日ちゃんとスーツ着てなに食わぬ顔で通っていたけれど、実は水道も風呂も台所もないサバイバル状態の自宅からの出勤だった、なんてちょっとおかしい。(朝風呂のあと会社に行っていたのです)

その後もガスコンロを設置してようやく調理ができるようになったり、瞬間湯沸かし器を設置したり、風呂の追い炊き釜を設置して風呂が使えるようになったり、あるいは灯油の配管工事をして灯油ストーブを設置したりと、次第に「人間らしい暮らし」ができるようになっていった。
振り返ればガスの配管以外はすべてDIYで済ませてしまった。


そうそう、移住してきて右往左往するばかりの私たちに声をかけてくれた近所の移住仲間の人たちにアドバイスをもらったり、大型石油ストーブをタダでもらったりもしたっけ。

恐ろしいほどの夜の静けさや、霧の中から聞こえるカッコウの声を聞きながら、ああ本当に北海道に住んでいるんだなぁ…と妙に実感したのを鮮明に思い出したりもする。


いま考えれば、なにもそんなに無理してあんな古い家に住まなくたって、ほかに住むところもなかったわけではないのに…とも思うけれど、でもそんなサバイバル状態?で始まった北海道の暮らしはとても楽しかったし、いろいろな意味でいい経験になったと思う。

ゴールデンウィークは、そんな北海道暮らしのスタートになった時期。

春になり、遅い遅い十勝の桜が咲き、すべての植物が一斉に芽吹き、命をふくらませる季節。
今年もまたそんな植物の成長を見ていると、初めて目の当たりにするそんな植物の成長に感動していた気持ちとともに、当時のいろいろなことを思い出す。

社会人になったときや結婚したときなんかもスタートの季節だけど、でも「スタートの季節」といえば私たちのなかではゴールデンウィークだ。

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2005.04.14

田舎の水

自宅がある集落は水道水がとてもおいしい。
くさみがまったくなく、ほどよい冷たさ、かすかな甘み。
塩素のにおいなんて微塵もしないし、なんともいえないまろやかな風味があって、とにかくおいしい。
コーヒーを入れても、お茶を入れても、もちろんご飯を炊いても、とてもおいしい。

この水道水、聞いた話によると「簡易水道」というやつで、日高山脈に降った雨がずーっと地下を通ってわき出すところがあり、それをこの地域の水道に使っているそうだ。
つまりわき水がそのまま水道から出てくる…ということらしい。
ちょうど集落は、日高山脈のすそ野のところにあるので、それは本当なのかも。

都市部の水道なんか比べる対象にすらならないのは当然として(職場の水道水なんて不味すぎてとても飲めない)、全国の○○○の名水とか、市販のミネラルウォーター等と比べても、誰がなんと言おうと、うちの水道の水のほうがおいしいと思う。

九州だの長野だの、あるいは道内の名水地など、たしかに名の知れた天然のわき水がでているところの水はたしかにとてもおいしいけれど、でもウチの水道水のほうがもっとおいしいなぁ…と思うのはそこに住んでいる者のえこひいきだろうか。
家の水道をペットボトルに入れて売ったら、売れそう…と個人的には思っていたりもする。

さて、ここに移住してきた当初から、この水はどこにも負けないおいしさだ…とこっそり思っていたけれど、まわりに住む人に聞くと、なんと浄水器を使っている人がいたり(残留農薬が心配だとか)、どうも特別「おいしい」という認識はされていない様子。

えー?
この水のためだけにこの地に住みたくなるほどおいしいと思うんだけど…。

ところが今年になって、集落内にパン屋さんができた。
このパン屋さん、ずいぶん昔からうちのSOHOのお客さんで、パン屋ができるずっと前に「土地ありませんか?」みたいなことを聞いてきた。そのときはどうしてこの集落が良いかまでは聞かなかったのだけれど、後から聞くと実はこの地域の「水」に魅力を感じてこの土地にパン屋を建てたそうだ。

そう!そうでしょ~!

このパン屋さん、けっこういろいろなところで「水がいい」と宣伝しているらしく、ようやくこの地域の住む人にも「地域の水はおいしい」という認識が少しは広まったような気がする。

ちなみにもちろん我が家では、このおいしい水を使って、ごはんや煮炊きはもちろん、風呂もトイレもこの水。
風呂の肌あたりもとても良く、うちに泊まった人が我が家で風呂に入ると、その点を指摘する人がけっこういる。

「そんなにおいしいのなら飲んでみたい!」と思っても、残念ながらこの水は市販されていないので、住む人に頼んで飲ませてもらうか、あるいは自分が住んでしまうしか方法はありません(笑)

田舎に暮らしても「田舎暮らし」らしいことなんてなにもしていない…という話題がよく出るけど、でも水道をひねるとこんなおいしい水が出てくる…というのはやっぱり田舎暮らしの良さかもしれない。

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2005.02.09

帯広って生活しやすい?

先日、会社の本社の人と話す機会があった。
うちの会社の本社というのは東京秋葉原。

そのなかで
・なぜ帯広人は30歳そこそこでみんな結婚してて子どももいて、そして一戸建ての家を建てているのか!?
という話になった。


うちの会社は自分と同じ30歳前後の人がとても多い。
帯広勤務の30歳前後といえば、自分を入れて6人。
たしかに独身がひとりいる以外全員結婚しているし、ほとんどここ数年の間に庭付きの一戸建てを建てて住んでいる。

そう言われてみれば、うちの会社の本社勤務の人も、前居た会社の同世代の友人たちを思い起こしても、結婚したり子どもがいる人も少しはいるものの、ほとんどは独身で、家を建てた人などひとりもいない。

うーむ、そういわれれば不思議だ。
何故だろう?

帯広と秋葉原本社の違い。

まずすぐ思い浮かぶのが、土地などの不動産の安さ。
うちは例外的に遠くに住んでいるけれど、みんな会社から15分以内のところの帯広市内、または近郊に住んでいる。
そんなところでもまあ1千万円もあれば、70坪とか普通に住める広さの土地は充分購入可能だ。
家もあまりこだわらなければ、土地+建物で2千万円チョイくらいで手に入るような気がする。
首都圏ならマンションならともかく、20代で通勤圏に一戸建て…なんて金銭的にちょっと現実的ではないかも。

それから勤務時間の短さ。
勤務時間は基本的に平日9時~18時だけれど、帯広はだいたい定時でみんな帰るのに対し、本社などは定時は事実上24時くらいだという。
月平均の勤務時間でいくと帯広人170時間、本社250時間程度…ということで、似たような仕事とはいえ、仕事の大変さはずいぶん違うらしい。
もちろん通勤時間も帯広のほうが圧倒的に短く、また電車通勤に伴うストレスもないので、時間的精神的余裕は相当違うはず。

ちなみに給料はなぜかほぼ同じ。残業手当がつかない点も同じだ。
(と書くと誤解されそうだけど、帯広の水準としても決して多くはない。東京勤務の人はさぞかし大変なはず..)

もちろん結婚しているほうが良いかどうか…なんてことはまったくもって個人の価値観だし、家にしても子どもにしても同じ。
それに身の回りのほんの少しのサンプルを見てみただけなので、なんの参考にもならないけれど、しかし感触として、なんだか帯広人は本社の人たちに比べると、住居費が安く勤務時間が短く…と、なんとなくいい思いをしているような気がしないでもない。

たしかに田舎はいろいろな面で不便なことはある。
雪国暮らしが大変だなぁ、と思うときもちょっとはある。
都会の価値観で考えると、帯広の田舎的常識?にムカっと来ることだってあることはある。

でもやっぱり東京に居たときよりも今のほうがずっといいな。
そんなことを考える移住5年めの今日この頃だ。

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2005.02.02

北海道の節分

北海道に移住してきて、かなりびっくりしたことのひとつ。
それが節分の豆まき。

みなさん、節分でまくものと言えば?
自分は神奈川生まれの神奈川育ちだけれども、子どもの頃から豆まきの豆といったら、そりゃもう大豆でしょう。
乾燥した大豆をまいて、それから豆を歳の数だけ食べる…というのが決まり。

ところが!
なぜか北海道では、どうも豆の代わりに落花生をまくらしい。
この季節、スーパーの店頭に売っているのは、豆…ではなく主に落花生。

少し大きめのスーパーに行けば、特設コーナーがあって、量り売りだったり、中国産やら国産やらよりどりみどり。
主力は落花生だが、何故か豆が中に入ったお菓子(ころもがついて揚げてあるおつまみのようなもの)も売っている。

道民のみなさん…。
あなたたちは「鬼は~外!」って言いながら落花生をまくのですか?
あの大きな落花生をバラバラと?

調べてみると、どうやら東北の北の方からは落花生が一般的で、やはり北海道は落花生が主流とのこと。

・雪の上にまいたあとでも拾って食べやすい
・カロリーが高いので雪国の冬には最適
ということらしい。

なるほど、そういわれればそうかもな。
たしかに落花生だったらカラ付きで汚れないから、あとで拾って食べるにはいいかも。

こんなところにも合理的な道民気質というか、食べ物を無駄にしない気持ちというか、そういったものが見え隠れしているようでおもしろい。

明日3日は節分。
最近は恵方巻を食べるのも流行っているけれど、それは置いておいてたまには豆まきなんかもいかがでしょう?

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2005.01.19

ブロードバンド過疎地

自分の住む地域はブロードバンドが使えない。

現在のところかろうじてISDNが使えるので、一応フレッツISDNで常時接続環境にはなっているけれど、通信速度は64K。ブロードバンド風に表記すると、わずか0.064Mだ。

家の中は家庭内LANが全部屋にあって(トイレにだってLAN端子)、有線のほか無線LANも併設。
それなのに、家からインターネットにつながる線は64K…。

そこにふたりの人間がぶら下がり、タブブラウザでたくさんのページを同時に開き、頻繁にメールをダウンロードしたりウェブを見たりするものだから、もう遅いのなんの。
せっかく年1回ペースでパソコンを最新の高速なものに換えていっても、ネットに関してはほとんど意味がない。
まさに、とほほ状態。


それでも昔はあまり問題なかったけれど、最近はいろいろと状況が変わってきた。

たとえば、デジカメの高画素化に伴うメール添付ファイルの巨大化。(SOHOは画像がメールで送られてくることが多いのです)
たとえば、フラッシュや画像をたくさん使ったページの数々。
SOHO事業の上で参考にすべき事項を調べるときも、やはり昔に比べて容量の多いページが増えてきたような気がする。

昨日の記事の北海道ホテルもそうだけど、最近は宿泊施設でも部屋でブロードバンドが使えるところが多く、旅先のほうがネット環境がいい…という場面が多くてがっかりだ。(昨年稚内の近くの豊富温泉というところに泊まったときも客室内で無線LANが使えて衝撃を受けた)


それで「使えねえよ!」と文句ばかり言っていても仕方がないので、一昨年の夏祭りでブロードバンドを誘致しよう…と地域の人々に話をして回り、会とメーリングリストを立ち上げて、情報収集や役場・NTTへの働きかけ等も行った。

そのときにいろいろ話をしたところ、結局以下のような感じ。

・ADSLはNTTの設備の技術的な問題で実現が難しい。
・光は、100軒ほど(だったかな?)申し込みが集まれば検討する。
…って世帯数全部でも100軒もないんですけど。
・無線LANを使う民間サービスがあって、問い合わせたところ40軒集まれば…という話。

最終的には「実現望み薄」ということになってしまい、活動は休止状態だ。
結局は、こんな農村地帯に投資してブロードバンドを開通しても、採算が合わない…そういう判断なのだろう。

しかし周りを見回すと、小中学校をはじめ、ネットも結構使うのではないかと思われる出版社、SOHOでネット専門で事業をしている事業者(うち)、ネットを主な通信手段としてSOHOしている方(設計屋さん・作曲屋さん)、ネットでパンを売りたい…と希望しているパン屋さんなど、ブロードバンドの需要はけっこうあるような気がする。個人ページをアップしている人も多い。
この地域をIT先駆地にしよう…なんてことを言う人もいる。

ネットで生計を立てる人は今後も増えてくるだろうし、これからネット上のサービスがどんどん充実し、例えばネット通販、動画配信、IP電話、電子書籍など、農村地帯にこそ欲しいサービス群が今後ますます登場してくる。

また今自分の職場はVPNといって、外部からの接続で社内仮想LANが使える機能が実装されている。
これを使えば、いまサラリーマンでやっている仕事のほとんどは自宅で可能になり、いわゆる自宅勤務が実現する。なにも怖い思いをして毎日凍結道路を通勤しなくてもいい…というわけだ。
しかしブロードバンドが使えない、という理由で、実際には実現していない。
(実際にはブロードバンドが開通しても、すぐに自宅勤務というわけにはいかないだろうけど)

つまり農村地帯こそ、むしろ都会よりもブロードバンドが必要なのではないか。

電気や水道や電話と同じレベルで、ブロードバンドが全国どこでも使えるようになって欲しい、と願うのは田舎に住む自分だけだろうか。


ちなみにこれから期待できそうなサービスとして、衛星を使ったインターネットがある。
2003年にあーでもないこーでもない、と言っていたときは「まだずいぶん先」という印象だったけれど、なんともう衛星自体は完成しており、今年中には打ち上げとのこと。
http://www.jaxa.jp/missions/projects/sat/tsushin/winds/index_j.html

その後実証実験を行い、そして商用サービスと進むようだけれど、うまくいけば2~3年後には衛星によるインターネット接続ができるのかも、ということでとても期待している。

はやくこいこいブロードバンド。

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2005.01.14

自動車免許と田舎生活

誕生日が近づいてきたので免許の更新に行った。
ゴールドなので5年ぶり。30分の優良講習。

免許を見ると初めて自動車の免許を取ったのが、平成6年の2月22日。約11年前。
それから11年間無違反、交通違反を含め警察に捕まったことは一度もない(^^)y
(事故については、北海道に来てすぐのときに砂利道から谷へ40m落ちた自爆事故を起こしたけれど…)

ここでの生活はクルマ無しでは絶対に考えられない。
なにしろ一番近いコンビニまで、約13km。最寄りのスーパーも同じくらい。
最寄り駅も同程度だけれど、駅までの公共交通機関はなにもない。
一度だけ駅からタクシーを使ったことがあるけれど、片道4000円ちょっとだった。

もし免許がなかったらもちろん会社にも行けないし、毎日の食べるものにもすぐ困ってしまう。
(宅配生協とかネット通販という手はあるけれど)
もちろんホームセンターに日用雑貨を買いにも行けないし、誰かの家に遊びに行くことも出来ないし、本屋にも銀行にも行けないし、空港にも行けない。病気しても病院にも行けないし、今だったら産科の検診に行くことだってできない。

ちなみに家への出入りが事実上クルマしかないという事情ゆえ、徒歩圏以外でお酒は飲めない。だから宿泊を伴わない飲み会や結婚式などいつもお茶専門だ。(ちょっと寂しい…)

自動車と運転免許は生活のための必需品。
違反をまったくしないで運転するのはやや難しいけど(主にスピード違反)、でもこれからもおまわりさんにお世話になることなく生きていけたらいいな。

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2004.12.14

十勝の冬道

毎日毎日往復60kmほどを通勤してもうすぐ5年。
馴れたといえば馴れたけど、それでもこの季節の道路はかなりつらいものがある。
なにがつらいと言えば、もちろん路面の凍結だ。

いまのところ冬道で大きなケガをしたり廃車になったりするような事故を起こしたことはないけれど(夏はある)、車がスピンして後続車とこんにちは!したり、制御を失って歩道に乗り上げて止まるなんてことはわりとよくある。

対策としては低速で走るしかないけれど、距離があって始業時間が決まっている以上、そんなにゆっくりは走れないし、車の流れがあるんだからゆっくりすぎても、みんなに追い越されて逆に危ない。

一応いちばん効くとされているタイヤ(ブリヂストンのもっとも高いモデル)を装着してはいるけれど、やっぱり滑るときは滑る。

そんな雪道の滑り具合について、十勝での状況をちょっと考えてみた。


圧雪路 危険度★★☆☆☆
乾燥したアスファルトの上に雪が降り積もった状態。
雪が降っているときや、直前まで降っていた後、除雪車が通った直後などになっていることが多い。
見た感じはとても危なそうだが、実際はそうでもなくて、それなりにブレーキも効くしグリップも良い。


乾いた凍結路 危険度★★★☆☆
圧雪した雪が溶けてまた凍ったりして、路面が氷になっている状態。
帯広市内の交差点などでスタッドレスタイヤで磨き込まれて、この状態になっているのもよく見る。
それなりに危ない。ズズズ…と滑る。


濡れた凍結路 危険度★★★★☆
路面が氷になっている状態で、温度が高かったり(-3度から+5度くらい?)、季節はずれの雨が降ったりして、氷の表面だけが濡れている状態。
これは非常に危険。道路をゆっくり走っていても、すぐ横滑りして、右に行ったり左に行ったりと安定しない。ブレーキのたびにABSが全力で作動する。信号待ちの車に追突しそうでヒヤっとすることもよくある。
いわゆるブラックアイスバーンなどもこの仲間か?
先週の金曜日などはこの状態だった…。


乾いた凍結路+粉雪or新雪 危険度★★★★★
ツルツルの氷路の上に新しい真っ白な雪が積もった状態。
なにが危険って、この状態がいちばん危ない。
歩くのすら困難。4WDでも発進が困難で、横を向いて発進したりする。
ゆっくり道を走っていても、歩道を歩く人をはねるんじゃないかと不安になるほどグリップがない。
一時停止で止まろうとしても、ABSが作動するだけで、ほとんど減速できずに交差点にそのままつっこんだり。
はっきりいって怖い。こんな日はどこにも行きたくない。
昨日(12月13日)の路面はコレだった。
ぱっと見いちばん上の「圧雪路」と変わらないのも危険度を高くしている要因だと思う。
昨日の路面状態を思い出し、ときどきはブレーキテストをするといいかも。


まあ冬道では事故を起こすときは起こすしかないと思うので、「事故るときは事故っちゃうよ」という諦めと車両保険、携帯電話、それに少しの準備があるといいと思う。
準備というのは、懐中電灯・毛布・防寒着・ガムテープ・手袋・長靴・スコップ・ブースターケーブル(バッテリーあがり用)・砂・牽引ロープ(道行く人に助けられたり助けたり)・シートベルトカッターとガラスハンマー(非常時の脱出用)…などなど。

深夜の冬道帰宅など、誰もいない道を走る時には心細くもなるけれど、今日もハンドルをしっかり持って家に帰ろう。

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2004.11.09

北海道移住 移住先の住まいの探し方

北海道移住を考えるとき、どんなところに住みたいか…ということで、その探し方は大きく異なる。

ここでは
・都市部で家(含アパート・マンション)を借りる
・農村地帯で家を借りる
という2つに分けて紹介したい。

自分は十勝地方への移住しか経験がないのでその話が中心になるが、おそらく他の地方でも似たような状況だろう。
仮にここでは地方都市、帯広で就職が決まり、帯広近辺で家を探す…という状況を想定しよう。

いきなり土地を購入して家を建てる方法もあるが、ここではファーストステップとして「住まいを借りる」という方向で紹介したい。

都市部、つまり帯広市内に家を借りたい場合は、比較的簡単だ。

本州での家探しと同様に
・街中の不動産屋をまわる
・不動産情報誌
・新聞紙上の不動産情報を見る
・インターネット
などで探すことになる。

不動産屋も帯広市内にはたくさんあるし、情報誌もコンビニ等で少しは売っている。
新聞なら十勝毎日新聞(通称かちまい)が詳しい。
ネットだったらちえんとかちナビなどが比較的賃貸物件が多く載っているような気がする。

ただし、道内に住む保証人が必要…という場合もあるようなので、事前に「自分は移住者であること」を明らかにして話を進めるのがよいと思う。


問題は「農村地帯で家を借りる」を選択した場合だ。

せっかく北海道に移住するのだから、住宅地のアパート暮らしは嫌だ。
できれば見渡す限りの畑が広がるような場所の一戸建てに住みたい。
我が家の場合もコレだった。

しかし基本的にこのような物件は不動産屋にはない。

たしかに農村地帯に空き家はある。しかし普通はそういう物件は貸してもらえないのだ。
なぜなら、それらの家を所有する多くの方は、その土地に根ざして生きてきた方たちであり、地域に生きる人たちだ。
そこを本州から知らない人がひょっこりを訪ねて「家を貸してください」と言われても、そう簡単に貸せるものではないことは想像できると思う。


さて私たちの場合は、当時「百年遅れの屯田兵の会」という移住の会?のようなものをやっている人がいて、たまたま東京吉祥寺で会ったことがあり、その人に電話して相談したのが始まり。

住まい探しの旅のときにはその人には会えなかったのだが、移住希望地域の町役場を紹介してくれて、その役場の方の仲介で、農村地帯に住む古い家を借りることが出来た。

もちろんこの家の持ち主は「家を貸す」つもりだったわけではないので、役場の方が交渉して貸してくれることになった…というわけ。
ちなみに当初1万円といっていた家賃は「この家で1万円は高い!!」と役場の方が交渉してくれ、月2千円で借りることができた。もちろん敷金も礼金もないし、仲介手数料なんてあるわけもない。


つまり、田舎に住むには、人づてで借りるのが一番近道だと思う。
どうすればその人づてをたどるかは、人によって違うだろうし、一般論はないのではないだろうか。

ただし都市部(この場合は帯広市内や札幌市内)以外に住みたい場合、役場には声をかけてみる価値はある。
町によっては積極的に移住者を受け入れているところもあるし、不動産情報など意外な情報を持っていることもある。(当然、はあ?というような対応をされるケースもあるだろうが…)

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2004.11.04

移住と北海道のクルマ

北海道に移住してきて、最初の冬を迎える前にやったことのひとつに、クルマの冬仕様化がある。

タイヤを換える必要がある…くらいはわかったけれど、「寒冷地仕様」という言葉もあるし、実際にはなにをどうするのか全然わからず、とりあえずディーラーに行って聞いてみたところ、以下の言葉が返ってきた。

・寒冷地仕様とはヒーターやバッテリーの容量が違う
・バッテリーはチェックしたほうがいいけど、非寒冷地車も中古で普通に売っているし、そのままで問題ない
・ホンダ車には寒冷地仕様というのはないので、そのままでOK
・オイルは換えた方がいいかも。ワイパーは雪用というのがあるので、ソレを使うべし。

と、まあそういうことだそうだ。

結局、たまたま乗っていたのがホンダ車だったということもあり、交換したのはタイヤとワイパーだけ。

スタッドレスタイヤは冬が近づくとカー用品店やタイヤ専門店で豊富に売っているので、そのなかから適当に選んだ。ホイールと一緒に買うと、だいたい1台ぶんで4万円から7万円くらい。(サイズと銘柄によって大きく違う。うちのは185/65R14というサイズ)

年2回のタイヤの交換は最初は自分でやっていたけれど、結構時間がかかるし、「ちゃんととまっていなくて、走行中にタイヤが外れた」という怖い話を、まったく別のふたりの知人から聞いたので、自分で交換するのはやめにした。家族の命を載せるところだし、ガソリン入れるついでに頼んでも1台2千円程度だ。

ワイパーは「雪用」というのがあり、1台ぶんで5千円はしないと思う。
これはホームセンターで入手できる。交換は自分で5分でできる。

以前、帯広の移住アドバイザーをやっていたことがあり、東京等で行われる移住フェアなどに行くと「クルマを買い換えないといけませんか?」と聞かれたが、答えはノーである。

4WD、FFなどの駆動方式などについてはまた別の機会に記事にすることにしよう。

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2004.10.28

自家製イクラの味

この季節、必ず作っているものがある。
それはイクラの醤油漬け。

…北海道に来て「これはうまい!」と感激したものベスト5には絶対入れたい、それがこの自家製イクラだ。

本州にいた頃はあまり見かけなかったような気がするけれど、北海道ではこの時期、生の鮭のタマゴ(生筋子)が大量に売っている。
値段は年によって違うけれどだいたい100g300円弱くらいだろうか。


移住してきて最初の秋に試しに作ってみたら、これがめちゃくちゃおいしい。
臭みがなく、コクがあって、口の中でおいしさが広がる。

神奈川から来た義母などは、私はイクラ嫌いだから…とか言っていたのに、食べてみたら「こんなにおいしいとは!!」とパクパク食べた、、なんて話もある。


イクラの作り方は、単にお湯でほぐしてタレに1晩漬けるだけ。

タレは市販のイクラたれとかもあるけれど、我が家のレシピは、醤油1:みりん1だ。
その他には何も入れない、無添加・無着色の味。

今年も先週末にイクラを作り、1週間分のつもりだったがすぐ食べ終わってしまった。
真っ白な炊きたてご飯に、ご飯を覆い尽くすほどの自家製イクラ。
思い出すだけでよだれが出そうだ。

ただしイクラは栄養価も高そうだし、味も濃い。
調べたことはないけれど、たぶん高カロリー食品だろう。コレステロールも高そうだ。

尿酸値が高いですよ、と言われ気味の自分としては、好きなだけ食べるのもちょっと躊躇するところ。

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2004.10.18

移住と過走行車

昨日、セカンドカーのタイヤをスタッドレスに換えた。

このクルマ、走行距離がまもなく18万キロ。
新車で購入してまだ6年。
気持ちの上ではまだ新車なのに、またずいぶんと乗ってしまったものだ。

もともと出かけるのが好きで、横浜に住んでいたときからクルマは乗るほうだったけれど、北海道に来てから走行距離が飛躍的に伸びてしまった。

このクルマには北海道に来てからの4年半で15万キロ、別のクルマに3万キロくらい乗ったと思う。
計算すると、こちらに来てから年間なんと4万キロ乗っていることになる。

自分は現在、こちらの感覚では理解されにくい距離を通勤しているが、それがだいたい片道30キロ。
だいたい年間240日会社に行くとして、往復60kmとすると、通勤の走行距離は1万5千キロほどだ。
すると年間2万5千キロを「通勤以外のドライブ」で使っている計算になる。


ここの生活は自動車がないとコンビニすら行くことができないから、クルマはまさに下駄。

その一方で、吹雪のなか不意の故障などしてしまったら命に関わることになるので、信頼できるクルマであることが絶対条件だと思う。
だから自分はクルマは新車で買って、走らなくなるまで乗るのが好き。

どうせあっという間に距離乗ってしまうのだから、中古で下取りに出すのなんて無理だし、下取りのことを考えて大切に大切に乗るのも性に合わない。

中古車市場では10万キロ越えたらほとんどゴミ扱いされてしまうのだから、乗れるだけ乗るのがいいんじゃないんだろうか。


さてこのクルマ、あとどのくらい走れるのだろう。

過走行車とはいえ調子は絶好調。燃費も1500ccFFで16km/L前後と非常に良好。
温暖な横浜から運び、マイナス25度からプラス35度まで、年間60度もの温度差のなかを酷使しているが、いまのところ致命的な不調は一度もないし、ディーラーには購入後一度も行ったことがない。

マイナス25度でろくに暖気もしないで走ったり、2万キロもの間オイル交換を忘れていたり、吹きだまりを強行突破したりと、クルマに詳しい人が聞いたら怒りそうな扱いぶりだ。

さすがにサスはヘタりまくってきたし、剛性も落ちている感じはするし、高速道路はちょっと厳しい感じだけど、でもまだまだ乗れるはず。


…今度の週末あたり、たまには洗車でもしてみようかな。
もう老年、これからは少しいたわって乗っていきたい。

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2004.10.06

北海道移住、仕事と住まいどっちが先?

北海道への移住を考えるとき、仕事を先に見つけるか、それとも住まいを先に見つけるか。

自分の場合は仕事が先だった。


十勝圏複合事務組合、つまり行政がやっている東京発の移住体験ツアーというのが開催される…という話を聞いて、それに参加したのが直接のきっかけ。

1999年9月。連休を使った2泊3日のツアー。
このツアー、年1回実施で4年間程度企画されたらしく、実際に移住を果たした人も自分たちを何組かいたようだ。

3日間の日程のうち1日目は住宅地等の住環境の見学と既移住者を交えた歓迎パーティ、2日目は企業との面接(事前に企業側には参加者の履歴書、参加者には求人票が配布されていた)、3日目はアウトドア体験…という内容だった。

2日目の面接では4社と面接を行い、そのときは雑談程度だったのだが、そのなかの1社に強力にアプローチし、いかに自分が役に立つか、仕事ができるかをアピールし(もちろん大ハッタリ)、春になったら採用…という約束をしてもらったのが年の瀬。

2000年になって引っ越し先を決めたが、これについてはまた別の項で詳しく書こう。

当初4月からの入社のつもりが、引き継ぎの都合で5月になり、2000年のGWを使って引っ越し、GWあけから新しい会社に勤め、いまでも続いている。


振り返ると転職は比較的スムーズに進んだといえるが、この業界(コンピュータ業界)は慢性的に人が不足している…というか、人を派遣して「ひとりひと月ナンボ」という世界で、「誰でもいいから派遣してしまえばお金になる」という業界なのでうまくいったのだと思う。


さて実際に転職してみて感じたことが2つほどある。

ひとつは給料が安いこと。
もちろん残業はつかないし、それで当然という雰囲気。
人月価格(ひとり1ヶ月の派遣代=売り上げ、つまり自分の会社への貢献額)は安いし、それが給料の安さにつながっているのだろう。

給料の額は東京比手取りで70%、つまり3割減くらいか。ボーナスも同じくらいの下がり率。
妻が専業主婦でも、夫婦ふたりなんとか暮らせないことはないけど…。でも…。という程度の額だろうか。


しかしもうひとつ、これは非常に重要なのだが、仕事が「ゆるい」こと。
東京に居るときは納期厳守、重大なバグを出そうなものなら殺されそうな殺伐とした雰囲気だった。
品川駅前のガラス張りタワービルの上階で、レインボーブリッジから昇る朝日を何度見たことか。

また常に新しい技術への対応を求められ、新しいモノをどんどん覚えなければいけない。
つらい仕事で鍛え上げられる印象はあるが、同時にストレスが多く、本当にこのままでいいのか…とは常に考えていたことだ。


こちらはそんなことは皆無。
もちろん徹夜なんかしたことないし、たまには遅いこともあるものの、だいたい定時には帰れる。
土曜日出勤もほとんどゼロ。
日曜日や祝日に仕事があることはまずない。携帯電話も鳴らない。

納期も遅れたら仕方ないね…という雰囲気だし、多少の問題点も「しょうがないなあ」という雰囲気。
ぬるま湯につかっているような、おおらかな、言い換えればおおざっぱな北海道らしさだ。

労働強度、つまり仕事の大変さで比較すると、実感で半分程度のような気がする。
(たまたま今の派遣先だけの固有の特徴という可能性もある。念のため。)

仕事が大好きで、仕事を通して組織のなかで自己実現をする、という人には物足りないだろうし、東京に帰りたくなってしまう人もなかにはいるだろうけれど、仕事以外が一所懸命な自分にとっては理想的だったりする。


北海道移住は生活の場が変わったとともに生活の質も変わった。

それがいいことだったのかどうかは価値観によるだろう。
でも少なくとも自分たちにとっては良かったと思う。

そんなことを考える5年目の秋だ。

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2004.10.03

夏と冬で距離が違う都市

北海道十勝。
この土地に住んでいると、ちょっと変わったものが見たい、ちょっとあまり一般的ではない買い物をしよう…などということになると、札幌に出かけることが多くなる。

札幌はリトル東京というだけあって、情報もモノも人も集まり、大きな本屋もあるし、コンサートやイベントも多く開かれる。
だいたい平均すると月に1回程度はなにかしら札幌に行く用事があり、行っているような気がする。
おかげで旅の窓口の宿泊済みリストは札幌のホテルだらけだ。


十勝から札幌までは距離200キロ。
JRで2時間ちょっと、あるいは車で3時間半程度だろうか。

しかし札幌といえども、やはり地方都市であり、いろいろな施設やポイントは郊外にあることが多く、車で行ったほうが札幌に着いてからなにかと便利だ。

というわけで必然的に車で行くことが多い。

ところが。ところがである。
札幌に行くまでには高速道路が整備されておらず、国道274号線を通ることになるのであるが、この274号線にある峠「日勝峠」がクセモノなのだ。

日勝峠とは日高山脈を越える標高1000m級の峠。
事実上、札幌と十勝圏を結ぶ道はこの道しかないので、物流の重要な動脈となっている。

交通量は非常に多く、どの車も信じられないスピードで峠を走り抜けている。

このスピードもかなり問題なのだが、真の問題は冬である。

ただでさえ、厳しい北海道の冬。

そこにそびえる1000mの冬山を、自動車に乗って越えようというのがこの峠である。

過去に1度だけ、2月の吹雪の夜に峠を越えたことがあるが、正直死ぬかと思った。

全面アイスバーンと化し、ツルツルの路面。
まったく見えない道路。どこまでも激しく叩きつける雪。
突然目の前に現れる対向車。

しかし狭い道を大型トレーラーは行き交い、停止することは許されない。

万が一事故を起こしたら、外の気温は氷点下25度。
最寄りのまちまでは何十キロ、携帯ももちろん圏外。

全神経を集中し、ハンドルを堅く握り、カーブをひとつひとつクリアしていく。
対向車が突っ込んでこないように、止まっている車がいないように祈りながら。
手のひらは汗でびっしょりだ。


DSCF2300.jpg
(↑イメージ写真です。日勝峠ではありません。もちろんこんなモノじゃないよ)

今日の新聞に、冬の峠についてのホームページの話が出ていた。
行く日を登録しておくと、その日が近くなると気象情報、当日は路面情報や各種警告情報がメールで送られる仕組みだそうだ。


…北海道にはこんな道もある。

したがって、冬は札幌に自動車で行くことはできれば避けたい。

すると冬は札幌が遠い。気持ちのうえで。


札幌は夏と冬で距離が違う都市だ。

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2004.10.01

北海道移住

なぜ北海道に移住しようと思ったのか。

よく聞かれることなので、ここで一度まとめてみよう。

結論を先に書くと「肌が合う」…という表現が一番正しいような気がする。


そもそものきっかけは、高校時代に「周遊券」というフリーパスのようなきっぷを使って北海道をぶらりとひとりで旅したことがベースにある。
別に誰も出来ないスゴイ体験をしたわけではないし、一生に影響を与えるような出会いがあった…というわけではない。

でも、高校生の自分は、広い広い大地とそこに住むおおなかな人たち、気候、空気、そんなものにイチコロになってしまった。


大学時代も就職してからも、何回渡道(北海道に行くこと)したかもわからないくらい通ったけれど、そのたびに北海道の魅力にはまってしまい、これはもう住むしかないでしょう…とぼんやりと考えていた。

その間にカナダなどの海外もずいぶん行ったし、国内の他地域もいろいろ見て回ったけれど、やはり日本の北海道が好きだ。自分も道民になりたい。北海道に住みたい。
そんな気持ちは大きくなるばかりだった。


単純に、北海道という土地が好きだから。

好きなことに明確な理由はない。
もちろん、食べ物がウマイとか、自然が多い?とか、人が少ないとか、季節の移ろいがサイコーとか、フロンティア精神溢れる土地だとか、小さな理由は挙げられるけれど、でもどれもわざわざ居住地を変えるほどの理由にはならない。

単純に、北海道という土地が好きだから。肌にあっているから。

まあ簡単に言うとそういうわけです。

まとめにはなっていないので、これもこのブログのカテゴリとして追加しておこう。

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